三江線代行タクシーの旅ローカル鉄道切符紀行番外編                               
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三江線をゆく代行タクシー

JR西日本は2016年9月30日、三江線(江津〜三次)の事業廃止届出書を国土交通大臣に提出したと発表しました。
廃止予定日は2018年4月1日(日)です。
あと1年とちょっとですね。
以下の記事にあるように、私にとって三江線はJR西日本で唯一、完乗していない路線です。
でもチャレンジはしたのです。
その時感じた、何とかして乗車しなければという思いとともに当線の現実を今一度お伝えしたいと思います。

2006.8..UP
2006.9.13 2006.12.2
2007.6.2 2010/06/13
2017/03/15 追補

*2006年7月19日、山陰地方西部に大雨、三江線は当分の間運休!!

J R西日本管内で、私がまだ乗車していない路線は、唯一三江線だけです。
100Kmを超える長い路線でありながら、列車本数が少なく、乗車するのが難しいのです。
 さてこの夏、意を決して三江線完乗にチャレンジしようとしたのですが、
2006年7月19日、山陰地方西部に大雨が降り、悲しいかな当線は当分の間運休ということになってしまったのです。
 旅行を中止しようかとも思ったのですが、三江線の駅近くに見つけた宿もSLやまぐち号の切符も予約してあります。
代行バスツアーもまた、たのしからずや。というわけで予定通り旅に出ることにしました。

 7月29日、青春18切符で、新快速−各停と乗り継ぎ、福塩線まわりで三次に着いたのは、16時43分でした。
17時20分の発車まで時間があるので、買い物ついでに少しばかり街中を歩きました。
すると昭和47年の水害時における被災水位のプレートが建物に残されていました。1mをゆうに越える高さです。
 往古より江の川は侮れない川なのだなあと実感しました。

江の川と三江線

 実際、江の川は、私のようなよそ者が想像するレベルを遥かに超えた大河なのです。
中国地方の地図を見ると、江の川の終着点である江津市とほぼ南にある広島市との間は、
直線距離にして100kmほどにしか過ぎません。しかし、江の川は島根県と広島県との県境を越え、
幾重にも折り重なるように流れていて、その長さは194kmに及びます。
 47年水害のあった三次市は、広島県内にありますが、県北東部の河川は
この三次市に流れ込む江の川(可愛川)へ全て集中し、ここから峡谷を縫うようにして、
島根県の県境から江津へと流れてゆくのです。

 そしてこの三江線こそは、この江の川沿いに造られた峡谷鉄道なのです。
 島根県には、三江線のほか木次線、山口線と陰陽連絡の鉄道路線がありますが、
沿線の地形は全く趣を異にしています。  
 
 三江線は、昭和5年4月に石見江津−川戸間が開通してからその歴史が始まりますが、
昭和12年10月に浜原まで開通した後は、ずっと盲腸線のままで、三江北線と呼ばれていました。
 一方、三次からは昭和30年3月に三次−式敷間が、そして昭和38年6月に式敷−口羽間が延長されます。
 いわゆる三江南線です。
 
 そしてこれらの終着駅、浜原−口羽間が結ばれたのは、昭和50年8月です。
 これでめでたく国鉄三江線が全通したのですが、当時、国鉄の赤字はのっぴきならないものになっていて、
その元凶の一つであるローカル線のあり方についても検討されている時代でした。
 三江北線も三江南線も昭和43年には不採算路線としていわゆる「赤字83線」にリストアップされており
廃止されてもおかしくない立場にあったのですが、新線により全線開通がなされたことで、
今まで生き延びてこれたわけです。

ジャンボタクシーによる 460列車 三次−浜原間

 駅に戻ると2台のジャンボタクシーが駐車していました。
フロントガラスには代行バスと書かれてはいるものの実際は、代行タクシーです。
 三次交通と、芸備タクシーによる460列車は定刻に三次駅を出発しました。
2台で10名ほどの乗車です。タクシーでまかなえてしまうのが悲しいところです。

 今回代行タクシーを利用することによって、ローカル線を普段とは全く違った視線から。
つまり車内からではなく、車外から見ることが出来ました。
 とりわけ目を奪ったのは、50年開業の新線区間の立派さです。
伊賀和志−宇津井間にある大きな橋梁は2層式で下部には歩道が備え付けられています。(写真左下)
そして知る人ぞ知るの宇津井駅は地上20mの高架橋部分に造られた駅で、
116段もの階段を上り下りしなければならない、おおよそバリアフリーという発想からはほど遠い、人に厳しい駅です。
 代行タクシーの運転手さんは、ここでの記念写真タイムも「どーぞどーぞ。」と許可してくれました。(写真右下)


三江線 宇津井駅
 
代行タクシーは、丁寧にひとつひとつ駅前に
立ち寄ってゆきます。
運転手さんでさえ道に慣れておられないらしく、
車1台がやっとの事で通れるような細い道を
行きつ戻りつ走ってゆくのです。
 たいそう余分に時間がかかったろうなあ。と思いきや、
目的地の潮温泉(潮駅の手前数百bの所にある)に
臨時停車?をして頂いた時には、
ほとんど遅れはありませんでした。



翌朝、浜原駅に来てみると、キハ120が一台、
ぽつんと取り残されていました。今にも動き出しそうでしたが、
レールのさびが現状を物語っています。(写真上)

ジャンボタクシーによる 446列車 浜原−江津間

浜原を出発して江津へ向かう代行タクシーは1台のみです。
三次方面から乗り継いできた女子高生2名が、次の粕淵で下車すると、
残ったのは青春18切符のお客だけでした。

 現在の川の状態が、増水しているのか、普通の状態なのかよくわかりませんでしたが、
少なくとも昨日今日と走っている道路のあちこちに冠水していたらしい跡が見られました。
川沿いの木々の上にもがれきやビニールがひっかかっています。
 当の三江線の線路敷きについては、2カ所ほど土砂が崩れているところを確認しました。
いずれも小規模で、高千穂鉄道のような致命的な被害は、少なくとも見えている部分に限ってですが、
ないように見えました。 その気になれば数日中にも復旧できそうです。
 しかし、なんといってもタクシーでまかなえてしまうほどの需要しかないのです。
学生たちが戻ってくる9月までは、このままかな。などど考えながら石見川本につきました。

 石見川本駅は、三江線唯一の有人駅です。(とはいっても駅員さんは委託ですが…)
時間調整をしている間を利用して記念に入場券を購入しました。(写真トップ)
というわけで列車のいない切符紀行となりました。

 途中一人、二人と乗客をひろいながら、旧桜江町の中心である川戸ではとうとう乗り切れず、
運転手さんは携帯電話で別のタクシーを手配しました。携帯電話ならではの代行タクシーといえそうです。
 この川戸付近も47年水害では、被害の大きかったところです。
現在、細長く狭い町の周りには堤防が巡らされ、大雨時には、陸閘門(りくこうもん)によって遮られます。
 こうなれば三江線も町内にはいることは出来ません。
 
 かなり河口に近づいているはずなのですが、川の流れを阻むような谷間の地形がまだ、つづいています。
江津の手前、江津本町駅と千金駅には、代行タクシーは立ち寄りません。
後続のタクシーに任せているわけではありません。もともと停車しないのです。
 運転手さんは、「道が狭いからだ。」といってましたが、
私は、てっきり古い町中なもので、道が狭いのだと思いこんでいました。
 しかしそれは違います。江津の町は海岸線から2kmほどしか平野がないのです。
とりわけ江津本町−川平駅間の左岸サイドは、山がすぐ谷に迫っていて細い道しかなく、
後からわかったことですが、ここも崖崩れのため通行止めとなっていたのです。
江津本町という駅名からして町の中心なのかと想像してしまいますが、実際は町外れで、
ここからは人家もほとんどない渓谷なのです。
思えば人家の少ない谷間をぬって走る路線。それが三江線といえるでしょう。

 江の川橋を渡って、代行タクシーの旅は終わりです。定刻よりもやや早く悠々のゴールでした。
タクシーの料金メーターを見ると浜原−江津間は、22940円也。鉄道なら(50.1km)950円の運賃です。
 今回、偶然でしょうが、定期券で下車した女子高生たち以外、全員が終点まで乗車したことになります。
青春18切符で旅する酔狂なメンバーを除くと、
江津駅で回収された運賃はタクシー料金の十分の一にも満たないものでした。


 今回のタクシー料金をもとに、ごくおおざっぱな計算をしてみると、
全列車分をタクシー一台でまかなったとして、一日あたり四十万円強。
二台なら八十万円以上消えてゆく計算になります。
 早く復旧しないと大変だなあと思う一方で、
たとえ復旧しても劇的に乗客が増えるとは考えられませんから、
本当に三江線を維持するための困難さを考えずにはおれませんでした。

 
江津到着時のタクシーメーターです。
 
 今回、タクシーの車窓から鉄路を眺めることによって、いろんな発見が出来ました。
そして次回こそは、是非とも、三江線の列車に乗りたいものだと思っています。

 しかし、一方で、このまま消えていってしまうのではないか。という思いをぬぐい去ることは出来ませんでした。


  列車のいない 三江線


          この渓谷美を背景に走る列車の写真を撮りたいものです 
 



追加情報1
 9/12 onishi様から、メールをいただきました。三江線はまだ復旧していないようです。
onishi様からのご報告によると、江津 15時発の代行タクシーには21名の、
そして浜原からの乗り換え列車には17名の乗客がおられたとのことです。
 やはり大半が、高校生で、県境の駅 口羽で下車した2名の高校生を最後に、
県境を越えた乗客は、onishi様お一人だったそうです。
 高校生が、帰ってきてもタクシーで何とかなってしまうのか。とまたまた寂しい気持ちになってしまいました。

 また、江津本町をどうして通過するか。ということについて「道が狭いから」と報告させていただいたわけですが、
実態は、この崖沿いの狭い道に50bほどの土砂崩れがあり、これが本当の理由だということがわかりました。
貴重な画像まで送っていただき、この目で確認させていただきました。
 本文のほうも訂正させていただきました。
                                  
                 onishi様、ご報告ありがとうございます。Webページ上からも御礼申し上げます。


追加情報2
 11/27発、JR西日本のHPによりますと、
三江線の一部(=三次-浜原間)で、12/15(金)より、運転を再開するとのことです。
浜原以北は、変わらず代行バスで運行されるそうですが、
とりあえずこのまま廃線ということにはならないようで一安心です。


追加情報3
 5/16発、JR西日本のHPによりますと、
運休が続いていた三江線の一部(=江津-浜原間)は、6/16(金)より、運転を再開するとのことです。
列車ダイヤを多少変更して運行されるそうですが、なにはともあれ、めでたし、めでたし。
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