鉄道切符管理局ローカル線切符紀行
 
                            のと鉄道   
2005.11.9 UP JS3VXW のHPです
  
 のと鉄道 NT109 蛸島駅 NT1のと鉄道の切符 硬券のと鉄道の切符 軟券09    蛸島駅

*新幹線着工を睨んでの存続 −−のと鉄道−−


のと鉄道の前身は、国鉄能登線(穴水−蛸島61.0Km)です。
大正11年に改正鉄道敷設法で敷設されることが決まったのですが、着工されぬまま戦後になり、
やっとの事で全線が開通したのは昭和39年9月のことでした。
 
 積年の悲願が叶い沿線住民のみなさんに大歓迎された能登線ですが、
もはやこの半島にもモータリゼーションの波は迫ってきており、最初の数年を除くと乗客数は減ってゆく一方でした。
 
 国鉄再建法、基準年度の乗車密度は2045人。第3次廃止対象路線となります。
それはならじと沿線2市4町1村は、昭和56年「能登線存続期成同盟」を結成。存続運動を続けました。
最終的には県が第3セクター化を発表、協議会もスムーズにすすみ、昭和63(1988)年開業にこぎつけました。
 しかし七尾線と切り離されたことで直通列車はなくなり、運賃もUP。とりわけ通勤客離れを止めることはできませんでした。

 さてそのJR七尾線に転機が訪れます。和倉温泉までが電化されることになり、
その際、JRは末端の和倉温泉−-輪島間の運行をのと鉄道に移管することにしたのです。
 
 七尾までの運行を主張する「のと鉄道」側の意向を受け、
第2種鉄道事業者(=他人の線路で運行し使用料を支払う)の顔をも併せもつ新生「のと鉄道」が
七尾線(七尾−穴水−輪島、53.5km)及び能登線(穴水−蛸島)の2路線で再スタートしたのは1991年9月のことでした。
 
 七尾への直通列車が運行できることになり、能登線の利便性はUPしました。
しかし、もはや通学生主体の生活路線となった「のと鉄道」に、過疎化の波と少子化の波は防ぎきれませんでした。
まず七尾線(穴水−輪島)が2001年4月に廃止され、2005年の4月には能登線が廃止されました。

 結局、第3セクター初の第2種鉄道事業者として七尾−穴水間のみを運行することになった「のと鉄道」ですが、
「軒を借りて、母屋がなくなった。」ということになるのでしょうか…。

 現存する「のと鉄道七尾線」は28.0km。こればかりは利用客が多く経営も安定して…、とゆけばいいのですが、
そうは甘くないはずです。それなのにNT200形が、7両新造されます。

 2005年4月時点で22両残っていたNT100形の多くは91年製です。いくらレールバスでももうしばらくは使えます。
事実、うち13両がミャンマーに売却され第2の人生を送るのです。(ちなみに1両20万円也。解体費用60万円より安い)
 
 縮小されたからこそイメージアップする必要はあるでしょうが、車両をほぼ総入れ替えするそんなお金がどこにあるのでしょう。
そこまでして4分の1にまで縮小された借り物の「のと鉄道」を残したのは、いったいなぜなのでしょう。

 北国新聞によると、将来、北陸新幹線が開業した際、在来線が3セク化されるため、
そのノウハウを継続して残しておく必要があるからだとか。
 でも、私には「ほら、3セクはなくしてませんよ。安心して新幹線を誘致しましょう。」という政治的意図が見え隠れするのです。

のと鉄道の切符 一日切符のと鉄道 NT100形 


 参考文献;年鑑「日本の鉄道」別冊「第3セクター鉄道」鉄道ジャーナル社 90.10
     「のと鉄道の開業」笹山忠夫氏 鉄道ピクトリアル No499 88.9
「北陸の鉄道」WEBページ
北国新聞 H15.12.26/H17.9.9の記事


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