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同和鉱業 小坂鉄道 2006.4.8 UP
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同和鉱業小坂鉄道の切符
切符は、平成元年10月に
小坂精錬となる直前のものです。
自動販売機の切符ですが、
地紋もないあっさりした切符です。

北茅ヶ崎鉄道切符研究所のwebページに
平成6年の切符がUPされていますが、
会社が変わったとはいいながら、
切符のデザインはまるで変わっていません。
参考文献; 同和鉱業株式会社
        藤田観光株式会社
        北茅ヶ崎鉄道切符研究所
及び   Wikipedia のwebページ    
 
同和鉱業 小坂鉄道 2103
 
2103 小坂駅  1989.5.4
   
      
  

*小坂鉄道 平成6年 旅客営業廃止

 同和鉱業は、明治17年に政府から小坂鉱山の払い下げをうけ出発した藤田組の、
その鉱山業を引き継いでいる会社です。
 
 藤田組といえば元奇兵隊の一員でもあった藤田伝三郎が、大阪において事業を興した会社で、
現在、藤田観光が経営する大阪市都島区の太閤園は彼の淀川邸の一部であるとされています。
 
 一代にして、関西財界の重鎮となり得た彼のバックボーンとなったのが、鉱山業だったのです。
小坂鉄道は、その藤田組が小坂鉱山の専用鉄道として明治41年9月に、
768mmのナローゲージで、大館−小坂間22.3kmを開設したのが、そのルーツです。
翌年には、小坂鉄道(株)となり、旅客営業も始めました。

 藤田組は、昭和20年に、同和鉱業株式会社となり、鉱床の探査・採掘から、
採掘した鉱石の運搬・分離・製錬までを一貫して手がけるようになります。
 小坂鉄道(株)は昭和33年、親会社の同和鉱業(株)に吸収合併されますが、
新鉱床の発見、採掘開始に伴い、昭和37年には1067mmに改軌され、輸送力が増強されました。

 しかし、50年代以降ここでも旅客営業は重荷になり、昭和63年にはワンマン化されました。
一方、鉱山のほうもほぼ掘り尽くされ、平成元年には、小坂精錬(株)として
既存の精錬所を活用する企業として再分割されます。

 平成6年には旅客営業を廃止していますが、
前述の精錬所が副産物として生産する濃硫酸を運搬する貨物鉄道として現在も活躍しています。


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