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   桃花台新交通(ピーチライナー)100系  2017/12/15 UP
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桃花台新交通(ピーチライナー)100系4連 編成表
←小牧、桃花台東   
110-120-130-140 (Mc1--M2--M3-Mc4 )
1F : 111-121-131-141 ~ 5F : 115-125-135-145
1991年3月開業 → 2006年10月廃止
参考:私鉄車両編成表2002年版  

-鉄道車両写真集-
■桃花台新交通へJUMP
 桃花台新交通 100系110形 上末-桃花台西間   撮影 2006.8  

「前に出るしか能なし野郎?」- 桃花台新交通(ピーチライナー)100系

桃花台新交通「桃花台線」は1991年に開業した新交通システムです。、
小牧市街と約7km離れた桃花台ニュータウンを結んでいました。
しかし、なんと15年後の2006年9月末をもって廃線となりました。

今回は、当線で活躍していた100系に注目してお話ししたいと思います。
「桃花台線」とともに、あっさり15年で消え去った悲劇の車両です。
普通ならまだまだ使えます。
しかし、前進しかできないその特殊さゆえ引き取り手はありませんでした。
実はなんとも、ユニークかつ 合理的な車両たちだったのにもかかわらず…。

100系は「桃花台線」が両端ループ式路線だからこそできた他に例をみない一方通行形編成です。
なにせバックする必要がないのですから、編成の最後部に運転台がありません。
(入庫時に使用する簡易運転台が隠されてはいますが…)
そして、島式ホームに統一することで
進行方向右側に扉の位置を集約することができました。
このことで座席定員が増加するのみならず、
車体の開口部面積も減少することで車体の強度もUP。
といいことずくめなのです。
扉が開くと、すべて進行方向に向いた座席がずらり、もちろん転換式ではありません。
すっきりした車内レイアウトは他に例をみないものでした。

すっきりといえば、足回りもそうです。
普通、新交通システムといえば、ガイドウェイ、つまり側壁に挟まれた状態で走行します。
集電靴も外側にあり見た目ごちゃごちゃしています。
しかし桃花台新交通は、ガイドウェイがセンターにある中央案内軌条式の新交通システムなのです。
これは日本車輌が開発した「VONA(Vehicle Of New Age)」を採用したことによるものです。
「VONA」は1972年3月に遊園地(谷津遊園)の中の周回軌道(380m)で試用されたのが最初で、
その後、山万ユーカリが丘線と桃花台新交通桃花台線で採用されました。

優秀なシステムと思ったのですが、
これがスタンダードになることはありませんでした。
もともと新交通システムの市場規模はしれています。
特殊なシステムとなれば設備・部品等を調達するたびに特注品となるわけで、
この経費もまた経営の重荷になることでしょう。
谷津遊園は1982年12月に、この桃花台線も2006年10月に廃止されており、
ユーカリが丘線も今後どうなることやら…。

ここで申し上げておきますが、
新交通システムに経済性がないと言っているわけではありません。

そもそも新交通システムとはなんでしょう?
新交通システムとは、
専用軌道上のガイドレールに従ってゴムタイヤで走行する中量軌道輸送システムです。
AGT: Automated Guideway Transitとも呼ばれています。
ニュータウンと呼ばれる大規模住宅開発地などから最寄りの鉄道駅への交通アクセスを考えたとき、
ピーク時はバスで裁ききれないが、データイム時の需要はしれているため、
鉄道を敷設しても採算に乗らないといった場合、
安価に建設ができる中量軌道システムとして考え出されました。
ですからAGTは独自の小型軽量車両を用い、
過密な都市内でも幹線道路上に高架路線、駅などを設置することで
用地代、建設費を抑えました。

結果として路線毎に独立した交通システムとなるわけで、
道路渋滞の原因になることも、列車が道路事情に左右されることもない。
安全な乗り物が誕生することになったのです。
加えて、このことでコンピュータによる無人での全自動運転が可能となりました。
人件費の削減が図れるほか、高頻度運転も可能です。
実はこれが最大のメリットなのです。

ただ…桃花台新交通は有人運転でした。
初期投資をケチったからですが、
この人件費もボディーブローのように効いてきたに違いありません。

メリットが活かされていないといえば運転間隔もそうです。

2000年8月。鵜沼から名鉄小牧線で南下して来た私は、
二つある接続駅の一つである小牧原から桃花台新交通に乗り継ぎました。
ここで乗り換えた乗客は私以外に一人。
大阪のニュートラムと同じようなホームドア付きの無人駅で、
まだあと20分近く待たなければと知ったときにはげんなりしてしまいました。

ニュータウンを造る以上、公共交通は何が何でも必要だというわけで
誕生したのが桃花台新交通です。
しかし必要だという割には、あまりにも利用者が少なく
わずか15年で廃線となるのもうなずけました。

何がいけなかったのでしょうか。
この点については、ローカル線切符紀行「桃花台新交通」に詳しく述べておきましたので、
こちらを参照していただくとして、

「前に進むしかできなかった」ユニークかつ 合理的な車両たちであった100系の意地を
すなわち、そのシステムの優越性を活かされることなく消えていったその無念さを忘れずにいただきたいのです。

参考文献 新車年鑑1991年版 鉄道ピクトリアル臨時増刊号 1991年10月

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