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  総武流山電鉄 1200系  2017/06/15 UP
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総武流山電鉄1200系 もと西武501系(2代目)
1979年から1981年にかけて、総武流山電鉄へ譲渡。

クモハ1200形・サハ60形の2形式からなります。
「流星」クモハ1201_サハ61_クモハ1202 ←元 西武 クモハ515_サハ1527_クモハ516
「流馬」クモハ1203_サハ62_クモハ1205 ←元 西武 クモハ509_サハ1509_クモハ510
「銀河」クモハ1206_サハ63_クモハ1207 ←元 西武 クモハ523_サハ1524_クモハ524
「若葉」クモハ1208_サハ65_クモハ1209 ←元 西武 クモハ511_サハ1511_クモハ512

−鉄道車両写真集−
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  総武流山電鉄 1200系 「流馬」編成 クモハ1200形 1205  撮影1997、8   鰭ヶ崎

 「名前」をつけるということ− 総武流山電鉄 1200系

2017年現在、流山線では5編成10両の車両(5000系)が使用されていますが、
それぞれ編成ごとに異なる愛称がつけられています。
まあ、鉄道車両に愛称をつけること自体、珍しいことではなく、古くは「弁慶」号や「義経」号(7100形蒸気機関車)に始まり、
現在では「ななつ星」などの豪華列車にも愛称はつけられています。
しかし、国鉄にせよ、JRにせよ、通常の営業に供されるすべての車両に愛称をつけるのは無理です。
通常の営業に供される車両にすべてに愛称がついているのは、
わたらせ渓谷鉄道や錦川鉄道など3セクのローカル鉄道などに限られてくるようです。

さて流鉄は、流山と常磐線馬橋間5.7kmを2両編成の電車が行き来する単線鉄道です。
JR常磐線との接続駅である馬橋では、最大15連の快速が複々線を疾走しているわけですから、実に対照的です。
とはいえ首都圏の鉄道です。
ローカル鉄道というにはその車窓風景も大きく違います。

命名されたその理由を考える前に流山線についてもうすこし詳しくお話ししましょう。
流山は水運業が盛んなところでした。
ライバルとなるであろう鉄道を忌避したがために、
常磐線のルートから外れたという歴史があります。
しかし、やはり鉄道は必要だ。
という声に応じて1916年に開業したのが流山軽便鉄道です。
軽便の名がしめす通り軌間は762mmでした。
のち流山鉄道に改称、1924年には軌間も1067mmに改められました。
1949年には電化(1500v)され流山電気鉄道→流山電鉄→総武流山電鉄と名前を変え、
2008年には現在の「流鉄」となりました。
頻繁に名を変えてはいますが、施設、設備の近代化は不断に行われ、
1200系が導入されたのも輸送力増強の要望に応えたものです。
鉄道を存続させてゆくためにマイレールという意識を強く持てねばならない
という理由でもって命名されたものではありません。

それでは現在まで続く編成愛称を初めて導入した車両。
1200系(総武流山電鉄)についてお話ししましょう。

1200系は西武501系(2代目)を種車にした車両で、
1979年から1981年にかけて、総武流山電鉄へ譲渡されました。

クモハ1200形・サハ60形の2形式からなります。
「流星」クモハ1201_サハ61_クモハ1202 ←元 西武 クモハ515_サハ1527_クモハ516
「流馬」クモハ1203_サハ62_クモハ1205 ←元 西武 クモハ509_サハ1509_クモハ510
「銀河」クモハ1206_サハ63_クモハ1207 ←元 西武 クモハ523_サハ1524_クモハ524
「若葉」クモハ1208_サハ65_クモハ1209 ←元 西武 クモハ511_サハ1511_クモハ512

これらはいずれも西武時代4両編成(Mc-T-T-Mc)でしたから
509・511編成は偶数サハを、
523編成は奇数サハをそれぞれ編成より外し、
515編成は別に527編成からサハ1527を組み込む形で、
3両編成化された上で譲渡されました。

多少変則的ではありますが、
編成ごとに導入されていることに注目していただきたいと思います。

さて1979年以降、流山線で導入されるそのすべての車両が西武鉄道からの譲渡車ということになるのですが、
なかでも1200系=西武501系というのは、西武の鉄道車両史において特別な意味を持つものです。

戦後の混乱期から復興期にかけて、鉄道車両は日本全国どこでも慢性的に不足の状態となっていました。
大手私鉄も国鉄から、戦災復旧車などを多く含む旧型国電を導入し、窮地を凌ぎました。
なかでもこれを徹底してやったのが西武鉄道です。
501系が登場する1955年までオリジナル車両を登場させず、あるもので何とかやってきたのです。
「質より量」を重視したということで、揶揄する向きもあるようですが
「始末して、きばる。」という近江商人の心意気はそのまま501系にも引き継がれます。
メカは、在来車と同じ、ツリカケ駆動で制御装置はレガシーデバイスであるCS-5。
サハの台車はTR-11 、旧型国電の再生品です。
実績と信頼、そして経済性に重きを置くスタンスです。
戦後初のオリジナル車両という気負いはありません。

17m車体で登場しましたが、1957年からの増備車はなんと20m車体に変更されます。
同一形式でこういう例があったとは信じられないくらいです。
さすがに西武でもこれはまずいと思ったのでしょう。
17m車であった501形は411系初代(のち351系)に改番。
空番には新たに20m車が追加されました。501系(2代目)としたのはこういう経過があるからです。
トップに挙げたクモハ1205は、西武クモハ510です。番号だけで見れば一番古い車両のように見えますが、そうではありません。
番号はいらぬ先入観をもたせてしまうこともあります。

一方で新しさもあります。
電動台車には空気バネを取り入れました。
そして湘南形のマスクをとりいれました。
これは以後、西武の電車に代々引き継がれ、西武の顔となってゆきます。

これは流山線にとっても大きなポイントです。
一挙に4編成を導入し、在来車をゴソっと置き換えるわけですから、
501系はすなわち流山線のイメージともなってゆくのです。
そのままであれば、西武電車のお古に取って代わられた感を否めません。
流山線も「質より量」か?…数あわせで導入したのだな。と思われるのは心外です。
どの編成も永くつきあっていかなければならないのだ。
という覚悟をもって導入するのです。
一編成ごと塗装を改め、それぞれが流山線にとってかけがえのない存在なのだと印象づけるためにも「名前」は必要だったのです。

私の職場では現在一人ずつノートパソコンがあてがわれていますが、
かつてはデスクトップパソコン5,6台を40人ほどで共有していました。
その中にマルチタスクで仕事をさせると決まってフリーズするウィンドウズマシンがあって、
誰ともなく彼女は「ME(みー)ちゃん」と呼ばれるようになりました。
名前がなければ、いらつく腹立たしいマシンでしかなかったように思いますが、
「ME(みー)ちゃんなら 仕方ないね。」という声を聞くにつけ、
愛着が湧いてきたのは私だけではありませんでした。

1200系の名前は公募で決められたそうですが、
利用者のみならず現場でも愛着を持って呼ばれたに違いありません。
そんな麗しい伝統が今も引き継がれていることは、すばらしいことだと思います。


参考文献:鉄道ピクトリアル 「特集 西武鉄道」 1992年5月 No560 の記事
鉄道ピクトリアル 「特集 関東地方のローカル鉄道」 1996年4月 No620 の記事
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