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  大井川鉄道 モハ6011 アルミカー  2007.9.23UP
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大井川鉄道 モハ6011 アルミカー モハ6011 (アルミカー) 1963年 日本車輌 製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
18.810 2.730 4.130 29.0
駆動方式 制御器(電圧) モーター(kw) ギア比
ツリカケ 1500V/DC MT-11
110×4
3.42
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
AMA 110(60) なし SH-11
=KS-30L(住友)
−鉄道車両写真集−
大井川鉄道 井川線 
秩父鉄道の電車たち
1971年8月 北陸鉄道クモハ6011を譲り受けた
600V 車だったため入線当時はトレーラーとして使用される。
1972年3月に1500V化。
:出典は鉄道ピクトリアル No436 特集 「大井川鉄道」の車両諸元表

日本車輛製のアルミカー @ 北陸鉄道(現 大井川鉄道 モハ6011) アルミカー しらさぎ号

 戦後生まれの首都圏の方々にとって、ステンレスカーやアルミカーといういわゆるシルバーカーは、かねてから日常的なものではあると思われるのですが、いかがでしょう?
ところが、大阪人にとっては大阪地下鉄や南海高野線を除くと、長い間、シルバーカーは結構珍しい存在だったような気がします。
かなり古い話で恐縮なのですが、阪神電鉄のジェットシルバー5101形がやってきたときなんぞは、それだけで嬉しくて、所要時間など考えもせずに飛び乗ったものでした。

 今や、東急や京王といった関東大手の中古車が地方鉄道に転出し、関西で見かける以上に地方でもシルバーカーにお目にかかれるようになりました。
しかし20年も前に遡れば、そんなことはありません。地方鉄道に於いてもシルバーカーはやはり希有な存在でした。
でも、ぽつりぽつりと存在していたのも事実です。
北陸鉄道 岳南鉄道 茨城交通 そして 秩父鉄道です。
 そして驚くべき事にそれらの全てが、中古車ではなくオリジナル車両だったのです。
つまり、彼らが登場した時代とは、地方鉄道が、新車をそれも先進的な車両を導入できる力を持っていた時代ともいえるでしょう。
しかし実際は、もう少し複雑です。
なぜなら、どの鉄道会社にせよ、それらの後継車両が、まるで姿を現さないのです。
彼らのの履歴を見てゆくことで、その辺の事情を考えてみたいと思います。

    岳南鉄道 モハ1100 ステンレス製  17m級車体 35.3t   1960 汽車会社  ツリカケ
    茨城交通 ケハ600  ステンレス製                1960 新潟鐵工 ディーゼル
    北陸鉄道 モハ6010 アルミ製     19m級車体 29.0t   1963 日本車輛  ツリカケ

まず注目して欲しいのは、製造会社です。
我が国において、ステンレスカーといえば東急車輛 アルミカーといえば川崎重工がパイオニア的存在です。
東急車輛は、東急5200形ステンレスカーを昭和33年に、
川崎重工は、山陽2000形アルミカーを昭和37年(当時は川崎車両)に製造しています。

以降、話をアルミカーに絞って進めてゆきますが、他、大手の鉄道車両メーカーとして押しも押されもせぬ存在となっている日立製作所は、相模鉄道6021アルミカーを昭和42年に、また近畿車輛も、近鉄8069アルミカーを昭和43年に製造し後を追います。
(東急車両のアルミカー第1号は、東急7200形:昭和42年)
しかし、ともに10年近いブランクがあるのです。出遅れた感があるのは否めません。

一方、日本車輛は、山陽2000形アルミカーに遅れることわずかに1年。
昭和38年には、北陸鉄道用にモハ6011形アルミカーを製造しているのです

それだけではありません。川崎車両が、西ドイツWMD社との技術提携によって、山陽2000形を製作したのに対し、日本車輛は、外板にあらかじめアルマイト処理した幅の狭い押し出し形材を使用するユニークな構造を6011形に導入し、そのオリジナリティを世に問うています。

ウィキペディアの「北陸鉄道6010系電車(2007.9)」によると、
「…車体の基本レイアウトは6000系に準じる。ただし、北陸鉄道初のカルダン駆動車となった同系と異なり、予算節減を目的に既存の15m級車から台車、電装品および空制機器等を流用しており、それらの流用機器の仕様から6000系と同仕様の鋼製車体では重量過大とされたため、収容力と走行性能を確保すべくアルミ合金製車体として軽量化を図っている。」
とあります。
つまり、旧型車の部品を流用するためにアルミカーとした とされています。
しかし当時まだ、一般的ではないアルミカーを北陸鉄道が、それもまだ実績のなかった日本車輛に発注したとは考えにくいのです。
先に日車側からアルミカーの提案があり、予算上の問題で足回りを流用したのではないかと 私は、考えています。

日本車輛といえば、中京圏に本拠地を置く鉄道車両メーカーで、名鉄や、名古屋市交通局の車両のほぼ全てが日本車輛製です。
なぜ名鉄の車両で試作しなかったのか、不思議な気さえしますが、東急車輛や近畿車輛ほど、日本車輛は鉄道会社と密接な関係があるわけではないのです。
むしろ日車は、地方鉄道向けに標準型車体を多く供給しており(新潟交通、松本電鉄など)、地方鉄道における実績はピカ1です。
そんな実績を背景に、日本車輛は北陸鉄道でアルミカーの試作を試みたのではないでしょうか。
汽車会社においても、新潟鐵工においても、同様、ステンレスカーの試作を試みたものとおもわれます。

6011-6061を語る上でもう一つ忘れてはならない車両があります。
大井川鉄道の6051-6052です。
これまた北陸鉄道から譲渡された車両ですが、写真からもお解り頂けるように、同様のデザインをもつ同系列の車両です。
前述のウィキペディアの記載にもあるように、北陸鉄道初のカルダン駆動車で、クロスシートを備えた急行用車両です。
600V 仕様の電動車であったクモハ6001は、悲しいかな1500V路線である大井川鉄道では使えず、昇圧工事もままならぬまま、トレーラーとして余生を送った悲劇の電車でした。
6011が、旧式のツリカケ駆動であったことから昇圧工事を受け 電動車として生き延びることができたのは、幸いなことでしたが、
これも運命のいたずらとしか言いようがありません。
でも、私は、この普通鋼製の電車が、6011アルミカーのデザインに与えた影響は、大きいと考えています。
「同じじゃあないか。」といわないでください。
6001のスタイルが洗練されたものであるからこそ、6011はアルミカーとして、
よりいっそう優れたデザインに仕上がったと私は思っています。
自動車では、新型車を作る場合、実物大のクレイモデルを作るということですが、鉄道車両でそんなことをすることはまずないでしょう。
しかし、6011のデザイン担当者は、飽かず実物の6001を眺め、デザインの詳細を決めていったような。そんな気がしてならないのです。
よくよく2枚の写真を較べてご覧になってください。
アルミ地金の色合いを見事に活かした6011のデザインの素晴らしさをきっと感じていただけることと思います。

クハ6051 (普通鋼製) 1962年 日本車輌 製 大井川鉄道 クハ6051
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
18.810 2.730 3.705 23.0
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
AMA 58(23) なし ND-109A
1971年7月 北陸鉄道より
クハ6052は、もとクモハ6001(カルダン駆動)1974年に制御車化、改番。
参考;クハ6061アルミカーの自重は、21t。
:出典は鉄道ピクトリアル No436 特集 「大井川鉄道」の車両諸元表

6051は1996年に、6011は2001年に、廃止されました。 6011については「道の駅 山中温泉」において静態保存されているそうです。

参考文献;鉄道ピクトリアル No436 特集 「大井川鉄道」
      ;鉄道ピクトリアル No354 アルミ.ステンレス車体特集
      ;鉄道ファン   No294 特集アルミ.ステンレスカー 「ライト級のチャンピオン アルミカー」里田 啓氏

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