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  南海電気鉄道 3000系  
2015/03/15 UP       JS3VXWのHP toppageへリンクHP  
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南海電気鉄道 3000系 −−泉北のことを一番よくわかっているのは−−

−鉄道車両写真集−
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泉北高速鉄道 3000系 3517F 3517 撮影;新今宮 2015.12


泉北高速鉄道(大阪府都市開発)は2012年11月のダイヤ改正に伴い3000系を廃車しました。
(3513F・3515F・3517F(以上4連)、および3555F(2連))
南海電気鉄道ではこれを譲り受け3000系として2013年に南海本線で営業運転を開始しています。
大手私鉄である南海が子会社である泉北高速の車両を譲り受けたというイメージです。
これに倣えば阪急が能勢電の中古車を導入するようなものです。
もっとも能勢電と泉北高速とは歴史も違えば経営環境も違います。
もう少し正確にその辺の事情を掴んでおきたいと思います。

泉北高速鉄道は、泉北ニュータウンの和泉中央と中百舌鳥を結ぶ鉄道です。
かつて南海の路線となることが検討されていましたが、多額の投資が必要なため、南海はこれを断念、
大阪府が設立した第三セクターである大阪府都市開発株式会社により開業にこぎ着けたという経緯があります。
ちなみに同社は、トラックターミナルを運営したり倉庫業を営んだりする流通業者で1965年に設立されています。
ということで、冒頭に「泉北高速鉄道(大阪府都市開発)」と記したのは2012年11月の段階では、
泉北高速鉄道は子会社どころか会社名ではなく愛称だったということです。
ちなみに南海電気鉄道とは資本関係も人的関係もありませんでした。

さて、その大阪府都市開発が地方鉄道法による地方鉄道免許を取得のは1969年。
その2年後の1971年に中百舌鳥 - 泉ヶ丘間が開業しました。
1973年には、泉ヶ丘 - 栂・美木多間が開業。
1977年には、栂・美木多 - 光明池間が開業。
1995年には、光明池 - 和泉中央間が開業。
と路線を拡大しています。

3000系は開業時に投入された100系に次ぐ第2世代で77年の光明池延伸にあわせて
1975年に投入された系列です。
3000系とは、いったいどんな車両なのでしょうか?
3000系は、南海6200系(1974年〜)がベースとなります。
車体も同一形状に見えますが、
登場時は非冷房車で、外板のみステンレス、内部構体は普通鋼製となるセミステンレス構造で登場しました。
ちなみに南海では6000系以来、ずっとオールステンレス車です。
足回りも6200系に準じているのですが、
高野線三日市町駅以南の急勾配区間への乗り入れを想定していないために抑速ブレーキがついていません。
開業時に登場した100系もそうですが、
初期投資をできるだけ抑えたかったという大阪府都市開発の意図が見て取れます。

2次車(77年製:07F〜以降)以降は当初より冷房装置を搭載して落成し、
1次車も新造後2年以内に冷房化されています。
1985年以降に増備された4両編成3本は、オールステンレス仕様となりました。
第3世代の5000系が登場する1990年には総数60両を数えました。
泉北高速鉄道5000系については先日、珍車ギャラリーで取り上げましたのでそちらも是非参照していただきたいのですが、
5000系は泉北高速鉄道がそのアイデンティティを前面に打ち出した系列ということがいえます。
当初、業務を南海に委託していた泉北高速鉄道でしたが、
1988年には第一種鉄道事業免許を取得。1993年には完全に直営化しています。
5000系登場の背景には、鉄道経営に本腰をいれだした経緯が見て取れとれるのです。
そしてその萌芽は進化を続けてきた3000系にあり。と私は思っています。

さてその後7000系も登場し、3000系にも廃車されるものが出てきました。
2015年現在12両(=4連×3)と90両から大きくその数を減らしています。

泉北3000系は、南海6200系がベースとなる系列です。
高野線では6200系からは2世代も前の6000系がばりばりの現役です。
100系が姿を消した時にも感じたことなのですが、
なぜ泉北高速鉄道はこんなにも早くに車両を引退させるのか。不思議でなりません。
思い返せば、公共企業体の鉄道車両はおしなべて短命なものが多いということは言えそうな気がします。
大阪市の60系は、2002年に姿を消しました。
対して同時に阪急が堺筋線に導入した3300系は今もばりばりの現役です。
そういえば、2015年に引退した名古屋市の5000系もまだまだ働けるように見えます。
泉北高速鉄道もこれらの例に漏れずというところなのでしょうか…。

ここで気になる3000系車両をご紹介します。
3050番台です。6両編成の一部から中間車2両を抜き取り、先頭車化改造を行ったものです。
1999年度に2連×3本=6両が改造されました。
50番台編成の新旧対照は次のとおりです。
3019-3020(元3511編成)⇒3551-3552
3023-3024(元3513編成)⇒3553-3554
3029-3030(元3517編成)⇒3555-3556
種車がセミステンレス仕様車のため、50番台車もすべてセミステンレス車体です。

泉北高速鉄道 3000系 3517F 3556 撮影;新今宮 2015.12


なぜこのような改造を行ったのでしょう。それは
6両編成を4両編成化し、これを閑散時に使用する一方で、ラッシュ時には8両編成に組み直し混雑の緩和をはかるなど、
よりフレキシブルに輸送需要に対応することを狙ったからです。
検査などにより4両編成が不足するこことも解消できますし、50番台2両編成を組み合わせて4両編成を捻出することも可能です。
泉北高速鉄道は公共企業体の鉄道とは思えないきめの細かい運用をしていたのです。

そうした姿勢は車体からも感じられます。
3050番台は7000系と共通となるコンビランプ(尾灯と前照灯)を配置しているので見た目でもすぐ区別がつきます。
アンバランスな感じがしないではありませんが、手作り感が感じられて私は好きです。
現在、205系などでもステンレス車の先頭改造車は数多く存在しますが、もともとステンレス車はこうした改造には向いていないのです。
セミステンレス車だったということが幸いしたのかもしれませんが、おいそれと簡単にできるものではないと思います。
加えて、運転台機器に100系の廃車発生品が流用されていることも見逃せません。

使えるものは大切に使い続ける。
そんな泉北高速鉄道の姿勢を感じたからこそ、南海電気鉄道は3000系を譲り受けたのではないでしょうか。

南海本線用となったのは、スチール製の7000系のほうが老朽化が深刻だったことに加え、
泉北高速鉄道3000系は、抑速ブレーキをもたないため、急勾配のある高野線三日市町以南への入線ができず運用面で不都合となるからです。
南海もまたきめの細かい運用をする鉄道会社です。

2008年4月、大阪に激震が走りました。
大阪府が大阪府都市開発の株式を放出する意向を明らかにしたのです。
当時、大阪府都市開発が府に対して年間1億2000万円の配当を出す黒字企業であったのにもかかわらずです。
このことが泉北高速鉄道に関わる現場の方々の士気を損ね、いかに不安をあおったか…。想像に難くありません。
そんな思いを汲むこともなく
2013年6月、大阪府は株式の売却先をの公募しました。
そして11月、優先交渉権を獲得したのは、なんとアメリカ合衆国の投資ファンドである「ローンスター」でした。
要はお金です。南海電気鉄道よりも60億円高い金額を提示したローンスターに781億400万円で売却されることになりました。
大阪府は財政難なのだからなりふりに構っていられないというのでしょうか。
私は「これは、政治家のパフォーマンスではないか。」と思われました。
「ローンスターへの売却は、鉄道事業の安定的な経営や安全輸送に危惧がある」
として地元の自治体が反対の姿勢を示したのは当然のことです。
府議会でも地元選出の与党議員が反対に回り、
最終的に2014年に株式は南海電気鉄道に譲渡、
大阪府都市開発は泉北高速鉄道株式会社に商号を変更し南海の傘下に入ることになりました。

泉北高速鉄道は自力でやっていけるだけの実力も実績もある企業体だと思います。
しかし、こうなってしまった以上。大阪府民は最も懸命な選択をしたのではないかと思います。
良いも悪いもない。泉北のことを一番よくわかっているのは南海なのです。

結果論ですが、3000系はそんなメッセージを伝えてきたように私には思われるのです。

参考文献
      :鉄道ピクトリアル  『特集 南海電気鉄道』泉北高速鉄道に関する記事。1993年12月 2008年8月 N615.807
       大阪府都市開発株式会社の株式取得について(お知らせ) (PDF) - 南海電気鉄道、2014年6月6日

    

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