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−高野線の歴史を刻んできた−21201−

−鉄道車両写真集−
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モハ21200形データ
モータ:三菱MB-146-TF[75kw×4]、
制御器;回生制動付き電動カム軸制御器(抵抗制御 )東洋AUR-17T、
台車;釣り合い梁台車 汽車K-16
ブレーキ;AMM自動空気ブレーキ、
高野線系統では初の元空気溜管式自動空気ブレーキ装備車
参考文献 私鉄の車両 No23 南海電気鉄道
鉄道ピクトリアル No367 南海電気鉄道 1979.10
南海電気鉄道 クハ21201形 21201 撮影; 和歌山

南海電気鉄道では、系列ごとに100の位で車種を判別できるようになっていました。
7000系の場合。Mcは0. Tcは.9 Tは.8
6000系の場合。Mcは0. Tcは.9 Tは.6
という具合です。ですから6901は6000系のTcということになります。
Tcには9をあてがうことが多かったのですが、両端がTcとなる6200系あたりからその原則は崩れ、5がTcにあてがわれています。

さて、今回ご紹介する21201はクハ21201形です。
登場した時期からするとTcですから、21901となるはずです。
でも、どうして21201なのでしょう。

実は、もとは、モハ21201形だったのです。
訳あって電装解除したのですが、改番をせずに形式だけが、クハ21200形に改められたというわけです。


それでは、まずは本来の姿である、モハ21201形についてお話します。
21200系(モハ21201-モハ21203-サハ21801-モハ21202)は、南海本線用11001系(2次車)と同じく、
湘南型と呼ばれる前面2枚窓非貫通型のクロスシート車です。

南海に詳しいお方であれば、塗装こそ違え、これは高野線の21000系と同車体の17m車であることはおわかりいただけるでしょう。
11001系が20m車なのに対し
高野線用の21000系は17m車で、多少寸詰まりなのです。
21201系も同じく17m車です。

しかし21000系と21200系は全く別の系列です。

21000系は、ズームカーと呼ばれることになる新性能車。
対して21200系は、1956年の事故で車体が焼失した1251系の足回りを再利用して
生まれたツリカケ駆動の旧性能電車です。

そんな生い立ちですから、4連が1編成製作されただけです(帝国車両製)。

さて21200系は21001系が登場する前年の1958年にデビューしています。
ついでに言うと南海本線用11001系(2次車)の2年後ということになります。

今更言うまでもなく11000系は南海初の高性能車です。
そのスマートな姿は、南海のイメージを一新し、南海本線に新風を吹き込みました。
高野線でも特急、急行用の高性能車が望まれたのは言うまでもありません。
しかし、高野線は半端な路線ではありません。
山線となる高野下−極楽橋間には50‰という急勾配がある一方で、平坦区間では100km/hですっ飛ばす高速性能が求められるのです。
高野線の規格に合わせて車体長を短くするだけでは話にもならないのです。
ズームレンズのように、使用状況に合わせてその性能を変化させるという技術的障壁を乗り越えなければならなかったのです。
一朝一夕にできるはずもありません。

ですから、3年のタイムラグで、21000系ズームカーが登場したのはすごいことだと思います。

話を元に戻しましょう。
その3年の狭間に登場したのが、この−21200系−ということになります。

事故というきっかけがなければ、登場することはなかったであろうとは思われますが、転換クロスシートの急行仕様車です。
歓迎されたに違いありません。
21000系がデビューして後も、彼らに伍して大活躍しました。

しかし、21000系との性能差は如何ともしがたいものがあります。
モーターの出力は21200形のほうがやや上回るのですが、加速力が違います。
ブレーキは、新型に取り替えられてはいましたが、21000系のHSC-Dの応答性能にかなうはずはありません。
いきおい、遅れがちになる列車ダイヤを取り戻すべく、懸命に全力疾走していたことでしょう。
でも、乗り心地の面から言うと最悪です。(−−−もっとも私は歓迎ですが、)
多段制御の21000系とは比べものになりません。

1967年、21200系は、空気バネ付きのTB-60を新造、釣り合い梁台車であるK-16と取り替えることにしました。

ツリカケ駆動なのに、エアサスとはすごいですね。
でも南海では珍しいことではありません。すでに1521形(旧型車の更新車)などでエアサス台車が導入されています。
ちなみに1521形は特急列車用ではありません。
一般車ではあっても、振動を直に伝えてしまうツリカケ駆動こそ、エアサス台車が望ましい。
という南海の乗り心地に対する姿勢はもっと評価されるべきだと思います。


しかし、同時に座席がロングシートに改められてしまいました。

山線直通急行の混雑ぶりが、平坦区間で際だってきたためです。
21000系も後期形はロングシートですから、仕方がないようにも思えますが、ちょっと残念です。

いや、そうするのなら、もっと残念なのことがあります。
なぜこのとき足回りを21000系に合わせて取り替えなかったのでしょう。

1973年に、南海は架線電圧を1500Vに昇圧しました。
旧型の電装品を多用する21200系は、案の定、昇圧工事の対象から外されてしまうことになるのです。

中間車は解体されましたが、先頭車は、まだ新しいということで解体だけは免れました。
長い前置きになりました。これが、3年後、クハ21200形となるのです。


貴志川線は国鉄和歌山駅から、貴志までを結ぶ14.3kmの支線で、現在は和歌山電鐵の路線となっています。
本線とは直接接続はしておらず、600Vのまま残されていました。
そんなわけで当時、貴志川線は、南海本線の旧型車であった1201形の独壇場となっていました。
1976年。沿線に高校が設置されることから、3両運転が実施されることになりました。
その際の増結用車両に、この21201が指名されたのです。

1201形には両運転台車も在籍していたのですから、これを増結車にまわし、
電装解除せずに21200系を2両セットで導入するという手もあったとは思うのですが、これはかないませんでした。

1201形は18m車、対して21200系は17m車。扉の位置も違います。
また、高野線由来の電装品では1201形と同じようなメンテナンスもできません。

結局、異端者はどこでも敬遠されるということなのでしょうか?

それでも、1両しかいない21201は、目立つ存在でしたし、
私には、颯爽と走っているように見えました。

不遇を託つことになったのは、事実です。でも、
彼は高野線の近代化に必要なものは何か。それを身をもって示してきたのです。

21201という番号にはその歴史が刻まれているように思えます。


1986年8月。21201形は3両運転の終了とともに引退。廃車されました。

南海電気鉄道 モハ21000形 21008 撮影 新今宮


  参考文献 私鉄の車両 No23 南海電気鉄道
鉄道ピクトリアル No367 南海電気鉄道 1979.10




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