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  近鉄 200系(もと三重交通モ4401形)  2011/03/29 UP
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近畿日本鉄道 200系 もと三重交通モ4400形 200系(ク202-サ101-サ201)となった三交モ4401形は
世界的に見ても珍しいナローゲージの連接車です。
現在は三岐鉄道北勢線に所属します。
−鉄道車両写真集−
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近畿日本鉄道 北勢線用 200系   撮影  2000.12   北大社−六把野駅間

近鉄 200系 (もと三重交通モ4401形) 

今となっては近鉄を離れ、三岐鉄道北勢線の車両となっている200系ですが、
もとは三重交通のモ4400形としてデビューしたもので、
ナローゲージの車両としては、革新的なテクノロジーを満載した歴史的な車両でした。

モ4400形は、湯の山温泉へ観光客を輸送すべく、
三重線用として、1959年8月に名古屋の日本車輛製造で製造されました。
三重交通では1両と換算されますが、
4401(M-1)-4401(T-1)-4401(M-2)の3車体連接車となっています。

ナローゲージの車両としては、世界的にも例のない珍車ということだそうです。

さて、彼らがデビューした1959年当時の三重線と言えば、
電気機関車あるいは電動車が機関車代わりとなり、
数両の客車を引いて走っていました。
そんな前時代的な三重線に、
近代的な間接式多段自動加速制御器(NCA電動カム軸式制御)を搭載した電車として
モ4400形はデビューしたのです。

総括制御により、折り返し時の機回し作業が不要となりました。
多段式と言うことですからスムーズな加速だったに違いありません。
また、この制御器には菰野以西の勾配区間に備え、発電ブレーキまで付加されていました。

制御器だけではありません、駆動方式がこれまたすごいのです。
垂直カルダン方式という耳慣れない方式を採用しています。
ほとんどの電車は、モーターを車軸と平行に装架しています。
かつては車軸に直角にモーターを装架した直角カルダンというのもありました。
垂直カルダンはこれとも違います。
モーターを軌道面に対し垂直に裝架したものです。
モーター軸の出力ギアがかみ合う変速ギアにスプラインシャフトを通し、
そこから傘歯車を介し、車軸を駆動するというものです。
おおむね、車軸から受ける振動は垂直方向です。
これを伸縮可能なスプラインシャフトが吸収するというもので
合理的かつシンプルな構造と申せましょう。

新潟県の栃尾電鉄などもこれを採用しました。

垂直カルダン駆動は狭軌のとりわけナローゲージの鉄道車両には有効な方式といわれました。
しかし、垂直カルダンは、全くもって普及するには至りませんでした。

なぜでしょうか?

その理由は、革新的な技術であるが故に、
保守的な多くの鉄道会社に受け入れられなかったことがあげられます。
加えてこれを開発したメーカーである神鋼電機が
鉄道車両には実績が乏しい新興のメーカーであったこともあげられます。

ナローゲージの軽便鉄道にあっては垂直カルダンでなければカルダン駆動化できないという事情はありました。
でも、ここから活路を見いだせるといっても、もはや軽便鉄道は経営難で続々と廃止されていました。
市場そのものが極めて限定的で、かつ先も見えていなかったのです。

そんな中でも、三重交通は、モ4400形に垂直カルダンを導入しました。
これは、三重県の企業である神鋼電機が開発したものであるということも影響しているかもしれません。
でもそれだけではないでしょう。
ここで、モ4401形が導入されることとなった湯の山線について考えてみることにします。

湯の山線は四日市鉄道が1913年に762mm軌間の軽便鉄道として開業させたものです。
対して八王子線(+内部線=鈴鹿支線)を、1912年に開業したのは三重軌道(三重鉄道1916〜)で、
ターミナルがともに諏訪駅であることから、
1931年、三重鉄道が湯の山線(=四日市鉄道)を吸収合併することになりました。

戦時統合で1944年、これらは三重交通の路線となり、
同じ規格の八王子線と湯の山線を合わせて三重線と総称するようになりました。

さて当時、近鉄の四日市駅は国鉄の四日市駅と隣接しておりました。
当時の地図を見ればよくわかりますが、大きくオメガ形のカーブで、国鉄駅に回りこんいる感じです。
このように、四日市市内ではカーブが連続しており、車両の大型化、高速化の足かせとなっていました。
これを解消すべく1956年、近鉄は名古屋線(海山道駅 - 川原町駅間)の経路を変更することになりました。

この時に三重交通三重線のターミナルも、諏訪駅から近畿日本四日市駅(現在の近鉄四日市駅)に移動したのです。

しかし一足飛びに今のようになったわけではありません。
当時は地上駅で、列車も湯の山駅(現在の湯の山温泉駅)- 四日市駅 - 内部駅と通し運転をしていたそうです。

変化が現れるのは、1964年です。

湯の山線は1435mmに改軌されることになったのです。
これに先立って、三重交通は鉄道部門を、三重電気鉄道として分離。
1965年4月、近鉄はこれを吸収合併します。
同年7月には早くも、名古屋線直通の特急が運行を開始しているわけですから、
近鉄は湯の山線を観光路線として、
近鉄特急ネットワークに組み込むことを目論んでいたことがわかります。

1973年には名古屋線と湯の山線が高架化され、
湯の山線は高架下に取り残された内部線とは対照的に近代化の道を歩むことになります。

話が遠回りになってしまいましたが、
湯の山線は、大近鉄が目をつけるくらいに
観光路線としてその価値を見込まれていたということです。
それは三重交通とて同じことで、
モ4400形には「観光路線にふさわしい乗り心地を!」
と大きな期待が寄せられていたに違いありません。
だからこその多段制御であり、垂直カルダン駆動なのです。

そう…、近鉄がその触手を湯の山線に伸ばしてくるまでは。

湯の山線の改軌に続き、近鉄の一員となったモ4401形は200系とその名を改め北勢線へ転用されました。
ナローゲージで残された内部・八王子線で使うには輸送力が大きすぎたからです。

北勢線で活躍することになる200系でしたが、ツリカケ駆動が当たり前の特殊狭軌線にあって、
垂直カルダンのメンテナンスはやはり厄介者であったようです。
観光路線でもない北勢線にあっては、カルダン駆動化によるメリットも乏しく、
哀しいかな、結局、デビュー後わずかに12年後の1971年に電装を解除されることになりました。
モ200形201・202については運転台を撤去されサ200形201・202へ改造されました。

以後、直接制御式のモニ220形に牽引されて使用されることになります。
彼らにとっては屈辱的な使われ方と申せましょう。

しかし、彼らは再び先頭に立つことになります。
それは1977年より開始された北勢線の近代化事業において、
総括制御が可能となる新造のモ270形と200系が貫通固定編成を組むこととなったためです。
サ202の旧運転台は6年ぶりに復活、同車はク200形202に改番されました。

その後1990年に塗装を内部・八王子線用260形などおなじく特殊狭軌線新標準色とし、
1992年にはブレーキを、HSC電磁直通ブレーキへ再度変更しました。

今や、三岐鉄道北勢線の車両となった200系ですが、
高速化の対象となるのでしょうか…。そこのところはわかりませんが、
私個人の感想を言わせてもらえば、他のどの車両より、
200系こそが、新時代の北勢線にふさわしいスタイルであるように思えます。
末永い活躍を期待したいものです。

さて、鉄道業界からは、相手にされなかったということになる神鋼電機ですが、
現在、シンフォニアテクノロジーと名前を変え、各方面から大きな注目を集めています。

それは同社が開発した小型風力発電装置「そよ風くん」です。
静かで快適、低価格の発電システムとして脚光を浴びている「そよ風くん」は、
約1mの風で回転を始め、しかも、これまでの風力発電で問題となっていた騒音もほとんど発生しないという優れものです。
さてその「そよ風くん」の核心部となる技術こそが、
垂直回転軸タイプのジャイロミル型ブレード(風車)なのです。

風向きが一定しないというのが日本独特の風の性質なのですが、
このテクノロジーによって頻繁に起きる風向きの変化や微風にも確実に適応して
発電を可能にしているというのです。

垂直カルダンとは、何の関係もないものかもしれません。
でも、私には、モ4400形のDNAが、そこに活きているような気がしてなりません。

近々、北勢線を訪れたいと思っているのですが、
もし、200系に出会えたなら、そんな話を彼らにしてやりたいと考えています。

−鉄道車両写真集−
近畿日本鉄道 北勢線 〜’92  〜’02    三岐鉄道 @三岐線 /A北勢線
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参考文献;鉄道ピクトリアル 「特集 近畿日本鉄道」No398/727 1981.12/2003.1
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