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  紀州鉄道 キテツ1形  
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−最後の2軸気動車−紀州鉄道 キテツ1形 −

−鉄道車両写真集−
紀州鉄道 北条鉄道へJUMP
紀州鉄道キテツ-1 もと北条鉄道−フラワ1985-2
1985年製 (富士重工業)
車体(長さ:幅:高さ:重量) 12500 2800 3548 16.5t
定員(座席数)88(36)
エンジン PE6H03 180ps*1 2200rpm
クーラー ICPU02 22000kcal  台車 FU30
2000年7月よりキテツ1形 キテツ-1として運行
紀州鉄道 キテツ-1 撮影; 2013年9月 紀伊御坊

キテツ1形は、もと北条鉄道のフラワ1985-2とフラワ1985-1を譲り受けたものです。

1985という形式は1985年に製造されたその年にちなむものですが、
その当時といえば、国鉄がJRに移行されるに伴って不採算路線とされたローカル線が切り離され、相次いで廃止されてゆくさなかでした。

北条鉄道の前身となる国鉄北条線もその例となる赤字路線で、沿線自治体の支援がなければ廃線の憂き目に遭っていたことでしょう。
というわけで北条鉄道はこの国鉄北条線を引き継いだ第3セクターの鉄道会社です。
第3セクターには、国から経営安定基金が補助金として交付されましたが、無駄遣いはできません。
車両製作費用も大胆に削減されました。
そんな中で登場したのがフラワ1985形なのです。

北条鉄道 フラワ1985形

フラワ1985形は、1982年に富士重工業が閑散線区向けに開発したLE-Carをベースとする車両です。
台枠こそ鉄道車両用に新たに作られたものですが、車体は同社のR15系バス車体を組み合わせたものとなっています。
エンジンも日産ディーゼル(現:UDトラックス)製のバス用ディーゼルエンジンPE6H(180PS)を搭載しました。
このように部品を共通化することでコストダウンを図ったということですね。
しかし、ユニークなのは、車軸(車輪)の懸架方式です。
二軸ではあっても貨車のような直接懸架方式ではなく、曲線通過性能を向上した1軸台車、つまりボギー車の形態をとっているのです。
(なお駆動台車はひとつで、もう一方は付随台車となっています。)

2軸車となる初期のLE-Carは、名古屋鉄道キハ10形(1984年)をはじめとして、
樽見鉄道ハイモ180-100形、ハイモ180-200形(1984年) 三木鉄道ミキ180形(1985年) 近江鉄道LE10形(1986年) などがその例に挙げられます。
老朽化により、そのほとんどが廃車となり、2013年現在、現役で残っているのは紀州鉄道に残るキテツ1形2両。
すなわち北条鉄道フラワ1985形(1985年) のみです。
つまり日本で唯一の営業用2軸気動車です。

バスの寿命は鉄道車両ほど永くはありません。せいぜい10年というところです。
そんなバスの車体やエンジンを共用するLE-Carが短命なのは当然といえば当然です。
名古屋鉄道キハ10形は1995年に、樽見鉄道ハイモ180形は1993年に101が廃車されています。
(101は有田鉄道へ、201は1999年、202は2006年廃車)
三木鉄道ミキ180形についても、102が1999年 101が2002年に廃車。
近江鉄道LE10形に至っては1996年に運用から外されています。

しかし、紀州鉄道はそんなLE-Carを2000年7月に北条鉄道から導入するのです。
フラワ1985-2です。「キテツ-1」と命名されました。
加えて、2009年10月。北条鉄道に残っていたもう一台のフラワ1985-1も導入し「キテツ-2」として運行を始めました。
なんと24年もの歳月を経たLE-Carを導入したということになります。
「キテツ-1」の導入から9年という時間差があるというのもちょっと驚きです。

紀州鉄道とはどんな鉄道会社なのでしょう?

紀州鉄道は、紀勢本線御坊駅と御坊市街地を結ぶべく、1928年12月に設立された御坊臨港鉄道が紀州鉄道の前身となります。
御坊から日高川駅まで全通したのは1934年です。
これを1973年に紀州鉄道が事業を買収しました。
1989年に、末端の西御坊駅 - 日高川駅間0.7kmが廃止され、現在は御坊-西御坊間2.7kmがその路線の全てとなります。
距離だけでいえば、芝山鉄道が最短ですが、事実上、日本一のミニ私鉄といえるでしょう。
終点まで乗っても運賃は180円。もはや貨物収入もなく、列車の大半はガラガラなのですから、到底採算のとれる路線ではありません。
紀州鉄道の実態は不動産会社であり、公共交通を傘下に置いているという信用を得るために路線が維持されているというのが本当のところです。

紀州鉄道では、御坊臨港鉄道より引き継いだ国鉄キハ41000形タイプの気動車を運行させていましたが、
1975年に、元大分交通耶馬渓線のキハ600形(キハ603, 604 1960年新潟鐵工所製)を導入することになりました。
正面2枚窓である点が違いますが、小断面車体でいわゆるバス窓と呼ばれる側窓があること又DMH17Bエンジン(160PS)搭載することなどから、
国鉄キハ10系気動車の影響が強く感じられるこちらも古典的気動車といっていい存在で、珍車として取り上げるに足る稀少車両です。
さすがに2両とも、冷房がなく車齢が高かったことから、
紀州鉄道初の冷房車でもあるキテツ1形導入後は主力の地位を退くことになります。

しかし、前述のように2000年に導入されたのは「キテツ-1」のみです。
キハ603も残され土日などはこちらを運行していたようです。加えてキハ604も部品確保用に残されました。

キテツ-1にしても、部品供給に不安がないわけではありません。
まして、製造元の富士重工業は、2002年に鉄道車両事業から撤退しています。
ですから、北条鉄道に残っていたフラワ1985-1を一日でも早く導入したかったに違いありません。


ところで、なぜ1軸台車をもつ気動車が、早くも廃れてしまったのでしょう。
それは、それほどの小型車では、結局多客時の対応ができなかったからです。
逆から言うと、それで用が足りてしまうような路線は、もはや鉄道会社としては成り立たない。ということにもなるでしょう。

紀州鉄道は前述したように、親会社の不動産部門がなければ到底路線は維持できません。
しかし、一日2往復にまで減量してしまった末期の有田鉄道とは違って、
紀州鉄道では列車本数を維持し、御坊市民にとってはかけがえのない路線であり続けています。

また会社も路線の維持のために懸命の努力をしているように思われます。

昼下がり、30分おきに御坊駅を発車するキテツ1形は、和歌山行きの117系と同時発車します。
右手前方に駆け抜けてゆく117系を見送ったキテツ1形は、レールを軋ませてゆっくりと御坊の市街へと向かいます。
運転手さんのマスコンさばきは、キテツ1形のエンジンを微妙に加減しながら、その車体と軌道とをいたわるかのような優しさに満ちたものでした。


参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1986年版 1986年5月号 No464


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