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  紀州鉄道 KR300形301  2017/04/16 UP
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紀州鉄道 形式−KR300 301
製造年(製造所) 1995年 (富士重工)
車体(長さ:幅:高さ:重量 形態) 15500 3090 4000 25.1t 両運2ドア
定員(座席数) 座席形状 94 (44)セミクロスシート
エンジン(出力ps:回転数rpm) PE6HT (250×1) 1900
クーラー 直結式 台車 FU34D
2016年1月導入
参考文献 L2K 95.12
−鉄道車両写真集−
信楽高原鐵道 
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紀州鉄道 KR301  撮影2017、4   紀伊御坊

「鎮魂の思い」− 紀州鉄道 KR301

2017年1月22日 紀州鉄道 御坊駅 - 学門駅間で脱線事故発生

御坊署や同鉄道によると、
カーブを過ぎたあたりで強い衝撃を感じた運転士が、急ブレーキをかけ停止したところ、後方の車輪が脱線していたということだそうです。

このニュースを聞いたとき、起こるべくして起こったなあ。というのが私の印象でした。
というのも前回、紀州鉄道を訪れたとき、
同区間を走るキテツ1形が超低速であるのにもかかわらずユッサユサと車体を揺らしていたのを覚えていたからです、
御坊を出た列車はしばらく紀勢本線と併走します。
較べるのが気の毒なくらい貧相な軌道をいたわるように運転手さんはノッチのオンオフを繰り返していました。
現役最軽量の気動車キテツ1形でさえそうだったのです。
そこそこの急勾配路線である信楽高原鐵道で活躍してきたKR301の重量を支えきれなかったのだなあ。
と感じました。

事故を起こした列車の速度は時速約15キロだったそうです。
自転車ほどのスピードですから大事故にはならず、乗客5人と運転士にけがはありませんでした。
それでも運輸安全委員会と近畿運輸局が現地で事故原因を調査。
2月23日に運転を再開するまで1ヶ月を要しました。
さて。皆様。
この一ヶ月長いと思われますか。それとも…・

地方鉄道にとっては、一日も早い復旧こそが会社の命運を左右する一大事といっても良いでしょう。
そして調査にあたられた方々は、そんな現場の思いを思いを受け止めて作業にあたられたに違いありません。
でも、事故は二度と繰り返してはならない…。

それがすべてです。

紀州鉄道

紀州鉄道の前身となるのは1928年12月に設立された御坊臨港鉄道。
紀勢本線御坊駅から日高川駅まで全通したのは1934年のことでした。
これを1973年に紀州鉄道が買収することになるのです。
1989年に、末端の西御坊駅 - 日高川駅間0.7kmが廃止され、現在は御坊-西御坊間2.7kmがその路線の全てとなります。
距離だけでいえば、芝山鉄道が最短ですが、事実上、日本一のミニ私鉄といえるでしょう。

終点まで乗っても運賃は180円。
もはや貨物収入もなく、列車の大半はガラガラなのですから、到底採算のとれる路線ではありません。
紀州鉄道の実態は不動産会社であり、
公共交通を傘下に置いているという信用を得るために路線が維持されているというのが本当のところです。
とはいえ民間会社です。赤字の垂れ流しが許されるはずもありません。
現場の方々は現実との板挟みにつらい思いをされているに違いありません。
財政的には極めて厳しい紀州鉄道−そのもの−にとって、
状態の良い中古車を導入することは、鉄道を維持してゆくために必要不可欠なことなのです。

信楽高原鐵道 SKR300形

KR301は前述したように信楽高原鐵道で活躍してきた車両です。
ただこちらも創立以来、厳しい歴史を経てきました。
まず1991年5月の信楽高原鐵道列車衝突事故です。
JR西日本から乗り入れの臨時快速列車と信楽高原鐵道の普通列車が正面衝突事故を起こしてしまったのです。
その日、私は梅田の地下街で新聞の号外を手にしたのですが、
全く原形をとどめず、天にそびえ立つようにへしゃげてしまった車体の姿に慄然としました。
42名の犠牲者を出した大事故でした。、
信楽高原鐵道は事故によって失われた2両と同形式のSKR200形1両を補充し、
半年あまりの後、その年の12月に 列車の運行を再開します。
そして、事故を契機に作られた安全推進会議の提言をできる限り採用し
1995年12月に投入されたのがSKR300形なのです。

正面の下部に油圧バンパーを設置するとともに、車内から脱出することも考慮し車体側窓の形状を変更しました。
限られた予算内ですることです。
それらの変更にどれだけの効果が見込めるのか。それはわかりません。
しかし、SKR301は事故の犠牲者の思いを引き継いで生まれたのだということは言えるでしょう。

信楽高原鐵道は、なおも厳しい現実に直面することになります。
2013年 9月 台風18号により杣川橋梁の橋脚が流失してしまったのです。
その時思い起こされたのは、同じく水害によって橋梁を流失、結果廃止に追い込まれた高千穂鉄道です。
同じ運命をたどるのかと危惧されましたが、幸いなことにそうはなりませんでした。
2014年11月に 列車の運行は再開されました。
再開するのであれば、新車も導入しテコ入れしてゆかなければなりません。
信楽高原鐵道は2015年10月。新車 SKR400形投入。
SKR301は廃車となる予定でした。
95年製ですから、もはや20年。前述したように同線は急勾配路線ですから足回りは相当使い込まれているはずです。
しかし、紀州鉄道では1985年製のレールバスが現役でした。20年もてば御の字の車体です
紀州鉄道はほとんど勾配はありません。
いたわるように使ってきたこともあって、なんとか維持してきましたがそれでも限度があります。
そんな事情からSKR301に白羽の矢が立ちました。
紀州鉄道へやってきたSKR301は、「S」の字を削ってKR301となり、2016年1月に運行を開始しました。
そんな彼が1年後事故を起こすことになります。
紀州鉄道は単線1閉塞です。つまり1列車が行ったり来たりするだけですから、正面衝突などあり得ません。
しかし、市街地区間は踏切も多く事故とは無縁ではないのです。
ところでKR301は、信楽高原鐵道時代の塗装のままで活躍しています。(描かれているマスコットは変更しています。)
実はこの塗装、あの悲惨な事故を二度と引き起こしてはならないという思いが込められたいわば「鎮魂色」なのです。
そう考えると
私にはこの脱線事故はKR301が身をもって、事故の恐ろしさを警告してくれたように思えてならないのです。


参考文献:鉄道ピクトリアル 「新車年鑑 1996年版」 1996年.10月 No628 の記事

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