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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>JR西日本 223系100番台 荷物室付き
JR西日本 223系100番台 荷物室付き関空特急「はるか」がデビューしたのは1994年。京都シティエアターミナル(K-CAT)では 関西国際空港のチェックイン手続きができることになりました。 そして二年後の1996年3月には、 JR難波駅にある大阪シティエアターミナル (O-CAT)でも 関西国際空港のチェックイン手続きができることになったのです。 こちらは「はるか」ではなく「関空快速」となる 223系100番台2両編成のうち JR難波寄り車両の乗務員室直後(客用ドア1つ分のスペース)に、 乗客の荷物搬送用荷物室を設置、荷物を搬送しました。 該当部分の客用ドアは、道中締め切りとなり、 「このドアからは乗車できない」と書かれた赤い表示が付けられています。 しかし、JR難波は、旧湊町駅。 ミナミの中心地”難波”というには不便で、好立地とは言えないところにあります。 もっともJR西日本は何も手をこまねいていたわけではありません。 1996年当時、関空快速の運転区間も拡大され、京橋・天王寺発着に加えJR難波発着も設定されました。 8両編成のうち6両が京橋行き、2両がJR難波行きになっていて天王寺駅で連結・解放するパターンもありました。 テコ入れしているのがわかります。 南海に負けていられないJR西日本は、 加えて関空特快「ウイング」の運転も開始しました。 南海特急ラピートB並みの早さでしたし、 6両のうち最後部の1両は指定席になるなど、 十分に「はるか」を補完するにたる存在となっています。 それなのに停車駅は大阪・天王寺・堺市・鳳・和泉府中・日根野・りんくうタウンとなっており、 JR難波には行かない設定となってしまいました。 この時点で、もはやO-CATの未来は決まったように感じられます。 JR西日本にしてみても、JR難波では、 南海ラピートに対抗できないと考えたのでしょうか。 結果、中途半端な存在である OCATでの搭乗手続きは京都駅に比べても利用率が悪く 1998年。そう、わずか2年で廃止になってしまいました。 (ちなみに、南海ラピート用 なんば-CATは、2001年に閉鎖。) 223系100番台の荷物室は廃止、この部分は客室に復元されました。 荷物室は名目上「業務用室」とされていたため、 もともと荷物車を示す記号「ニ」は付いてはおらず、 車種や車体番号の変更も行われていません。 ひょっとしたら、こうなることも想定していたのかも…。 「はるか」となる281系クハ281形には、 まだ荷物室が残されていて往時を偲ぶことができますが、 「関空快速」では、そんなものがあったのか? と思われるほど忘れ去られた存在となっています。 1999年。阪和線では大規模なダイヤ改正が実施され、 関空快速は和歌山行きの紀州路快速と併結運転を行うようになりました。 関空特快「ウイング」も廃止となり、指定席もなくなりました そして、2008年。JR難波への関空快速の乗り入れも廃止となりました いまや「はるか」でさえ、間引き運転されようとしているようです。 関西空港に過大な期待と夢を抱いたその末路をみる思いです。
参考文献;鉄道ピクトリアル 「新車年鑑1999年版」No676 1999.10 |
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