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  JR四国 111系 クハ111-3001  2010/01/25UP
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JR四国111系 B5編成4  クハ111−3001 AU101形冷房装置付き 岡山駅 
 JR四国111系 B5編成4  クハ111−3001 AU101形冷房装置付き 岡山駅      
モハ110− 製造初年
昭和37年
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
20.000 2.950 3.919 37.3
駆動方式 制御器 モーター(kw) ギア比
カルダン CS-12
(モハ111)
MT-46A
100×4
17:82
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車
電磁直通ブレーキ 128
(76)
なし DT-21B
残念ながら、国鉄時代のデータです。
モハ110は、JR四国で車掌スペース付きに改造されています。
鉄道車両諸元表:JR全車両ハンドブック1995 

113系ではありません。JR四国だけの111系。

四国地方の国鉄路線は、なかなか電化されませんでした。、
最初に電化されたのは、高松−琴平、観音寺間で1987年3月。
なんと、国鉄の最末期のことで、エリアも香川県を越えることはありませんでした。
この距離では特急電車を走らせるほどではないので、
国鉄は、普通列車用に121系を、38両投入しただけです。
121系は2両固定の小単位輸送用でしたので
ささやかなスタートであったと申せましょう。

その年の4月にはJR化され、
その翌年1988年4月に瀬戸大橋線が開通します。
これを機に四国の鉄道も大きな変革期を迎えることになります。

瀬戸大橋線というと、
JR西日本では213系マリンライナーをして華々しいスタートを切りました。
JR四国でも、四国島内直通のディーゼル特急をずらりと揃え、
新時代の四国を演出したのですが、
電車(=普通列車)はというと地味で、中古車である111系が導入されることになりました。
121系は、新車ではあっても、その構造上、(上昇窓であったため、)
瀬戸大橋線で使用することはできなかったためです。
瀬戸大橋線の開業を目前に控えて、なぜ同路線で使えない電車を新製したのか。
理解に苦しむところですが、瀬戸大橋線用として白羽の矢が当たったのは1962年製の111系でした。

さて彼ら111系は、他のJR各社から転属してきたわけではありません。
まず1987年3月に、4両編成×3本(モハ111/110-13・24・36、クハ111-6・11・28、303・317・323)が、
ほぼ駆け込み状態で国鉄からJR四国に承継されました。
JR四国では、これらを87年9月から10月にかけて改造しています。
続いて1988年には、日本国有鉄道清算事業団が保有していた8両の111系
(モハ111/110-3・4、クハ111-2・10・27・29)について車籍を復活させ、JR四国に投入しました。
これらも同様の改造を施され再デビューを果たすことになります。

111系は、クハが113系と同じクハ111形でもありますし、
見た目113系とほとんど代わりがないので、
同じように思われている向きがあるかもしれません。
しかし、いうまでもありませんが、113系と111系は別のものです。
その違いは、搭載されているモーターです。
そんなわけで111系のモーターMT-46は、
113系のMT-54より1世代前のモーターです。
出力は、100kwで、当然MT-54(120kw)より小さく、
今から思えば非力なモーターであったように思えます。
111系は113系同様4両編成ユニットでデビューし、64ユニットが製作されました。
113系(モハ112.113ユニット)は779ユニットも製造されたわけですから、
111系は、その10分の1にも満たない少数派ということになります。
また、111系は1962年にデビューしたのですが、
翌1963年には113系に取って代わられてしまいます。
以後113系は1982年にかけて20年近く製作されたわけですから、
製作時期の面からも111系がいかに少数派であったかがわかります。

国鉄末期、111系は、静岡運転所と下関運転所のみに配置されていました。(編成表 83年)
同路線の113系と共通運用するには、足手まといということになったのでしょう。
113系においてはそのほとんどがJR本州各社に承継されたのに対し。
111系は、JR四国で活躍することになる4両編成ユニットが5本だけしか生き残ることができませんでした。

ところで、国鉄清算事業団から車籍復活した8両の111系のうち、クハ111にご注目ください。
(2・10・27・29)の4両です。
気がつかれたでしょうか?300番台がありません。
111系は、両端にクハ111形をもってくるのですが、
そのうち一両は、床下に電動空気圧縮機 (CP)を搭載する必要があり、
これを300番台として区分しているのです。
CPなし、というわけにはいかないので、88年8月。
クハ111-10・11の2両を下り向きに方向転換し、CPを搭載、他の111系と同様に改造しました。
これでようやく5ユニットが勢揃いしました。
言葉はあまりよくありませんが、
残り物を寄せ集めて何とか使えるようにしたのがJR四国の111系といえそうです。
もはやクハ111が2750番台まで製造されていたというのもありますが、
JR四国では、前述の改造車(クハ111形)に3000番台(3001・3002)付与します。
一世代前の111系で、それも最も古いタイプのクハ111に3000番台を付けたあたりに私はJR四国の意気込みを感じます。

なんだかんだいっても111系は、JR四国にとっては、大事な車両です。

JR四国において改められたのは車体の塗装だけではありません。
かなり傷みが進んだ窓周りをはじめ電装品に至るまで本格的な補修が行われています。
電車の取扱になれていないJR四国のスタッフは苦労されたことと思います。
アコモデーションは121系にあわせて改良しました。
トイレは撤去し自動販売機を設置しました。
また、2両編成分しかないホームに対応するため、
モハ110形には、車掌用の業務スペースを追加するなどの改造工事も行っています。
そして翌1989年の夏には、20両すべてに冷房改造工事を終え、面目を一新しました。
搭載されたクーラーユニットは、AU101。
国鉄の分散型クーラーユニットAU13形と同じ重量でありながら、
能力は2倍という優れものです。
電源についても従来のMGを撤去し、最新の静止形インバータ(SIV)を導入しました。

そして、あのクハ111-3001の前面行き先表示板には、なんと最新のLEDが採用されるのです。


JR四国の111系が、その姿を消したのは、2001年3月のこと。
1962年の誕生以来、40年近く活躍し続けたことになります。

岡山駅の隅っこの方から、
申し訳なさそうに出発していった111系(JR四国の直通普通列車)でしたが、
振り返ってみると111系は日本全国探してみてもここにしかおらず、
貴重な存在となっていたのです。(一部クハ111として、113系に編入されたものを除く)
瀬戸大橋線は開業したものの、
財政上そうそう新車を投入できない事情をもつJR四国からの要望がなければ、
おそらくその時点で111系はそのすべてが廃車されていたでしょう。
残り物であったにせよ。寄せ集めであったにせよ。
強力なパワーを持つ弟たちに対し、肩身の狭い思いをしながら走るより
四国の地において磨き上げられ、
そして瀬戸内海の海上をさわやかに走り続けた彼らは幸運だったと申し上げるべきでしょう。
早世した仲間達の分まで、彼らは駆け抜けてきたような気がします。

−鉄道車両写真集−
JR四国 111系 直流近郊形電車
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参考文献;鉄道ピクトリアル 「新車年鑑88.89」No496.512 1988.89年.05月 
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