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  JR東日本 400系 新幹線  2011/08/27 UP
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JR東日本 400系 山形新幹線 つばさ  L6編成   撮影  1992.8.6  米沢駅
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JR東日本 400系 山形新幹線 つばさ L6編成 撮影 1992.8.6 米沢駅

JR東日本 400系-JR東日本が開発した初めての新幹線-

§1 小が大を兼ねるということ

JR東日本 400系は、
標準軌に改軌した在来線(奥羽本線)を直通運転する山形新幹線「つばさ」用として開発・製造されました。
いわゆるミニ新幹線の元祖です。
1992年7月からの開業に合わせ12編成が出そろいました。

車体長は20,000mm・車体幅2,945mmと在来線の規格に合わせ”小振り”になっています。
このままでは新幹線用ホームとの間に大きな隙間ができるため、
ドアの部分にステップが装備されました。皆さんもご存じのことと思います。
もちろんそれだけではありません。
大は小を兼ねると言いますが、小が大を兼ねるという、
いや、そんな言葉ではかたづけてしまいたくないほどの、かつてない画期的な車両が400系なのです。

乗り入れてゆく奥羽本線は、一口に在来線と言ってすませるような生易しい路線ではありません。
板谷峠という急勾配区間をかかえています。
かつて、この区間にはE10形蒸気機関車が使われていました。
あの国内最大級のマンモス級蒸気機関車C62形と同クラスのボイラーをもつ超強力山岳用機関車です。
400系に求められたのは、新幹線という別次元の超スピードと、
国内きっての急曲線、急勾配区間である在来線をこなすという、相反する走行性能です。
これを高いレベルで統合したモデルが400系と申せましょう。

急勾配区間での登攀性能を確保するために、ギヤ比は従来の新幹線より大きく設定されました。
その上で、高速性能を確保するために、モータは、かつてない高回転に耐えられるものとなっています。

モータだけではありません。
新幹線車両より小さな車体で240km/hを達成するため、新たな工夫が必要となったもの、
それは、なんと言っても台車です。
200系など当時の新幹線車両の台車は、車軸の間隔が2.5M。
対して在来線の特急車両は2.1Mでした。
ホイールベースが小さいほど小回りがきき、在来線では好都合ですが、
逆に高速運転での安定性は悪くなります。
急カーブのある在来線区間を想定した計算値などから、たどりついた車軸間隔は2.25M。
JR東日本は、この研究をもとに新たな台車を製造、90年11月に試運転にこぎつけました。
そして、91年9月には、他ならぬこの台車で
当時としては国内最高の時速345km/hを記録したのです。

新幹線と在来線では、保安装置(ATCとATS-P)や
交流電源の電圧(2.5万ボルトと2万ボルト)などにも違いがあります。
両方に対応できる装置とこれを切り替える機能も必要となります。
福島駅で東北新幹線「やまびこ」と分割・併合するための連結器も必要です。
スムーズかつ十分な強度と信頼性。そしてなにより安全性を確保するものが欠かせません。
一方、400系は、従来の新幹線より長さが5M、幅も50cm近く縮まったのです。
かつてなかったものをそのコンパクトな車体のどこにどう収納するか。
知恵と工夫の限りが尽くされたのです。

§2 400系が、早くも姿を消したわけ

1999年12月 400系は、新庄延伸にあわせて増備されたE3系1000番台と同一の塗装に順次変更され、ロゴや内装がリニューアルされました。
しかし、その姿でさえ、今はもう見ることはできません。

400系は、試作編成でもあったL1編成が2008年12月に定期運用から離脱
以後廃車がすすみ、2010年4月には営業運転を終了してしまうのです。

2011年、いまもなお国鉄時代の新幹線車両である200系は現役です。
なぜ、400系が先に姿を消すということになるのでしょうか。
小が大を兼ねるというということは無茶なことだったのでしょうか。

実は400系には、今までの新幹線にない特殊な事情がありました。
それは、400系がJRの所有物ではないということです。
山形県が出資して設立した第三セクター「山形ジェイアール直行特急保有(株)」の所有物だったのです。
この会社は、山形新幹線を開業させるにあたって費用を工面しようという会社であり、
山形新幹線用の車両を購入、JRに貸し出し、その出資金を回収するという会社です。
ですから償却が終わったら、所有する400系を処分して解散するのが筋書きです。
(ちなみに、増結車の429形と400系の後継として導入されたE3系は
JR東日本が自社で購入・所有しています。なお400系の車籍はJR東日本)
もし400系がJR東日本の所有だったなら、
200系のようにリニューアルするなどして延命したかもしれません。
また他の使い道も検討されたようにも思います。でも他人様の持ち物を好き勝手にいじくれるわけもありません。
400系が200系よりも早くその姿を消したのは、そんなことも影響しているのです。

秋田新幹線を開業させるにあたって導入されたE3系も
「秋田新幹線車両保有(株)」が購入しJR東日本にレンタルされました。
なお、増結車のE328形とR17編成以降導入されたE3系は
JR東日本が自社で購入・所有しているわけで、
ここまでは山形新幹線と同じ流れなんですが、
2010年3月。JR東日本は、R1~16編成についても自社で保有することにしたのです。
これで償却が終わる時期にE3系が廃車になるということはなさそうです。
でも、この手があるのなら、400系も--と思うのですが、
秋田新幹線用のE3系とは少しばかり事情が違います。
レンタル車両のE3系R16編成が竣工してから自社保有のR17編成が登場するまで、
1年半あまりしかその間は離れていないのです。
対して、400系L1編成とE3系1000番台L51編成との間には
7年以上のブランクがあります。
400系は、かつて例を見ない画期的な車両ではありますが、
車体は、普通鋼製で、制御装置もインバータではありません。
アルミ車体で、足回りも一新されたE3系1000番台とは格段の違いがあります。
この点で見切りを付けられたということになるのでしょう。

「つばさ」がそんなE3系に統一されたのにもかかわらず、
新幹線区間で「つばさ」が270km/hにスピードアップしないのはちょっと残念ですが、
遠からず「つばさ」も「こまち」並みにスピードアップするに違いありません。

§3 山形新幹線という手法

新幹線と在来線の直通運転を検討し始めたのは国鉄時代末期。
フランスの高速鉄道TGVが、高速線から、在来線へ乗り入れていたことは、当然ヒントになったでしょう。
でも、日本の場合、レールの幅からして違うのです。
車両側の軌間を変換するフリーゲージの技術は21世紀の今もなお確立されていません。
在来線には普通列車も走るため、新幹線車両と在来線車両とを共存させて走らせるには、
レールは3本または4本いることになります。
もっとも、3線軌道というのは、
箱根登山鉄道(箱根湯本-小田原(現在は入生田まで)にもあり、戦前からある技術です。
しかし、山形には雪が降ります。
ポイントが雪で動かなくなる恐れなどもあり解決すべき問題は多かったのです。
結局、その区間を走る普通列車も、新幹線の軌間に合わせ標準軌の車両にすることで
「レールは2本」に決着しました。
在来線区間での最高速度は、それまでの95km/hから130km/hへアップしました。
スピードアップのため、カーブの改良も施しました。
車両開発のみならず、在来線の軌道をどうするかというのも苦労の連続だったのです。

400系は開業時、東京・山形間を最短2時間27分で走り、
従来より30分以上、所要時間を短縮しました。
時間にすれば、そんなものか。という感じがないではありません。
しかし、「山形が新幹線で東京に直結している。」
ということは特別な意味を持っているように思います。

思えば400系はJR東日本が開発した初めての新幹線車両です。
その後開発された、オール2階建てE1系MAXなど次々に新形車両が登場し、
もはや、その姿を見ることさえできない400系は忘れ去られていってしまっている感さえあります。

でも、新幹線車両が、在来線に、そのまま乗り入れるという新しいシステム。
この手法は、97年開業の秋田新幹線にも受け継がれました。
そして、今や時速320キロ運転を目指す次世代のミニ新幹線用車両E6系が登場しています。
400系で培われたものが、今も活かされているのです。

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参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑1992年版 #566 1992.10 / 新車年鑑1991年版 #550 1991.10 

        

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