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  北条鉄道 フラワ2000-3  
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北条鉄道 フラワ2000形3号機 −−−三木鉄道の思いを引き継いで−−−

−鉄道車両写真集−
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北条鉄道 フラワ2000形3号機 撮影;2015.12 新前橋

北条鉄道 フラワ2000形は富士重工業製のLE-DC(18m級)です。
「2000」は営業運転を開始した2000年に。
「フラワ」は沿線の加西市にある兵庫県立フラワーセンターにそれぞれ由来します。
地域にある施設名を形式にしてしまうというのは他では見られないように思うのですが、
営業開始年に由来する2000についても、物言いを付けたくなります。

というのは今回お話しするフラワ2000形3号機は1999年製なのです。あれえ?
でもって登場したのは2009年。これはいったいどういうことでしょう。
実は、この3号機。
2008年に廃止された三木鉄道から譲り受けたミキ300形104号機をフラワ2000-3とし、2009年より使用を開始したものなのです。

それにしてもうり二つですね。
スペックをご覧ください。

三木鉄道 形式−ミキ300 103.4.5   計3両
製造初年(製造所) H10 富士重工
車体(長さ:幅:高さ:重量 形態) 18500 3090 4000 26.8 両運2ドア
定員(座席数) 116 (57) 座席形状 セミクロスシート
エンジン(出力ps:回転数rpm) PE6HT03 (295×1 :2100)
クーラー BCU-50 台車 FU50D   参考文献 L2K

北条鉄道 形式−フラワ2000 2000-1.2 計2両
製造初年(製造所) H11 富士重工
車体(長さ:幅:高さ:重量 形態) 18500 3090 3990 29.5 両運2ドア
定員(座席数) 118(57)座席形状 セミクロスシート
エンジン(出力ps:回転数rpm) PE6HT03 (295×1:2100)
クーラー BCU-50  台車 FU50D 参考文献 L2K

フラワ2000形は塗装こそ一台一台違いますが、1号機から3号機まで、
ほとんど、サイズもデザインも同じです。
エンジンも、台車も、クーラも同じものが取り付けられてあります。
外見的な識別ポイントは、スノープラウを装備しているか。スカートか。
くらいでしょうか?

もっとも、この時期の3セクの車両はどれもこれもよく似たものだ。
とお思いの向きもあろうかと思います。
実際、長良川鉄道のナガラ3形や明知鉄道アケチ10形、天竜浜名湖鉄道のTH3500形などは
兄弟機といって差し支えないと思います。
メーカーが提示する標準車体やエンジンなどをそのまま導入することで
車両導入コストを抑えるのは3セクでなくても 今や当たり前の施策です。

だからこそ、紛れ込んでしまってわからなくなってしまっている、彼の素性に光を当ててみたいと思います。

それでは 三木鉄道の忘れ形見がなぜ今北条鉄道で活躍しているのか?
お話しさせていただこうと思います。

そのルーツは播州鉄道。三木線が1916年、北条線が1915年に開業しました。
1923年に播丹鉄道となり、国有化されたのは戦時中の1943年のことです。
1974年までともに貨物列車も走っていました。
C12形蒸気機関車が5両にも満たない貨車を牽引していたのが思い出されます。
郵便車も走っていました。 北条町駅で郵袋を扱っていた光景も思い出されます。
とても採算がとれるというものではなかったでしょうが、公共輸送という使命を果たしていたのです。
しかし、1981年、三木線は北条線とともに第一次特定地方交通線に指定されました。
ちなみに、転換当時の三木鉄道の輸送密度/一日は822人。
廃線だけはなんとしても避けたい地元の声に応え、
それぞれ第3セクターの鉄道会社に転換され、1985年4月に営業を開始しました。

今や、三木市から神戸市内へ向かう神戸電鉄粟生線でさえ、その存続が危ぶまれています。
反対方向の加古川線に接続している三木線は、輸送需要にあっておらず、
第三セクター転換後も乗客の減少が続き2000年には半減、
その後も回復することはなく慢性的な赤字に陥っていきました。

特定地方交通線を転換した第三セクター各社は国鉄から受給した転換交付金で
赤字を穴埋めしていたのですが、三木鉄道は10年あまりで(1996年)底をついてしまいました。

それでも社長である加古房夫(三木市長)氏は、引き続き三木鉄道を存続させる意向を表明しました。
そのときに生まれたのが、ミキ300形なのです。
1998年に103、1999年に104、2002年に105を導入しました。
しかし経営支援を行ってきた三木市の財政状況は思わしくなく、
2006年に行われた市長選挙において、
財政再建のため「三木鉄道の廃止」を公約の一つに掲げた薮本氏が加古市長を大差で破って新市長に当選、
社長に就任することになります。
2007年3月の市議会を受け、4月。三木鉄道は取締役会で廃止を正式に決定。
翌2008年4月に三木鉄道は廃止されたのです。

ミキ300形は、前述の北条鉄道フラワ2000形と同じく富士重工業製のLE-DCシリーズになります。
転換時に導入されたレールバス、ミキ180形(富士重工業製のLE-Car IIシリーズ)
の後継車両とはいいながらも、造りはかなりガッシリ作られています。
10年にも満たないこれらの車両をそのまま廃車するのはあまりに惜しいということで
三木市では2008年に、これらミキ300形2両を競売に付し、
105を樽見鉄道が、104を北条鉄道が落札したのです。
(保存用に保管されていた103も、2009年6月 ひたちなか海浜鉄道に)。

ミキ300形導入当時、
北条鉄道では、まだ開業時導入車両であるフラワ1985形が予備車として残っていました。
これをミキ300形で置き換えることのメリットは非常に大きいのです。
なにせ、年間の運賃総収入が6000万円ほど、これでは新車一台購入するのも困難でしょう。
車両の購入費用を節約できるだけでなく、
フラワ2000形と同じ機器を多用しているミキ300形はメンテナンスにおいてもフラワ1985形より扱いやすいのです。

北条鉄道は、三木鉄道と同じ歴史を歩んできた兄弟のようなものです。
ですから、一歩間違えば三木鉄道と同じ運命を辿ったかもしれないのです。
それだけに三木鉄道の遺産を受け継ぎ、
新たな未来への一歩を踏み出せたことの意味には格別なものがあるように思います。

それだけに、三木鉄道のアイデンティティ(存在感)をせめてその形式にでも残して欲しかったように思うのですが。


参考文献:寺田裕一 『日本のローカル私鉄2000』 ネコ・パブリッシング、2000年

    

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