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  箱根登山鉄道 モハ110 モハ2形  2007.8.20UP
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箱根登山鉄道 モハ2形 モハ110 モハ110 (モハ2形) 1957年12月 東洋工機 製
長さ(m) 幅(m) 高さ(m) 自重(t)
14.600 2.590 3.990 33.3
駆動方式 制御器(電圧) モーター(kw) ギア比
平行カルダン RMK106−B
1500V/750V
TDK8180-A
95×4
6.00
ブレーキ 定員(座席) 冷房機 台車(製造)
SME
圧着ブレーキ
手ブレーキ
100(44) なし TS-330A
(東急)
鉄道車両諸元表(電車):出典は鉄道ピクトリアル 
−鉄道車両写真集−
箱根登山鉄道 モハ1形 2形 3形
1000形 2000形 3000
 2016.8.31 更新

過酷な条件をクリアーした登山電車たち−−箱根登山鉄道−−

ケーブルカーでもアプト式でもなく、普通の粘着式鉄道として日本一である80パーミルという急な坂道をもち、
また路面電車でもないのに最小曲線半径30メートルという急カーブをもつ箱根登山鉄道。

そんな過酷な条件の下で走る車両には、通常の鉄道にはない仕掛けが満載されています。
@ 急勾配を下るために、空気ブレーキ、電気ブレーキ 手ブレーキの他に
  レールに直接ブレーキシューを押しつけるカーボランダムブレーキを装備
A 自動連結器では旧曲線で列車が分離するおそれがあるので密着連結器を装備。
B 通常の鉄道では、レールの摩耗を防ぐため油を塗りますが、急勾配では危険なので、
 水をまいて走ります。そのため360Lの水タンクを装備。
C 山を下りる際には発電ブレーキを使いっぱなしになるので、主抵抗器を屋根上に装備。
D 山を下りる際に、停電となり制御回路が死んでしまっては、危険極まりないので、
__バッテリーはフロート方式とし、停電時にも影響を受けないようにしました。
(実際の停電ドキュメントは「J鉄局の鉄道ブログ;雷雨、停電、登山電車」をご覧ください。)
また、これ以外にも、1500V車である小田急車両が乗り入れてくる箱根湯本−小田原間を走行しなければならないので複電圧仕様になっているのも忘れてはならない点です。

その全てが珍車であると申し上げても過言ではないほどですが、
今回は現存するということもふまえて、モハ2形110号をメインに取り上げたいと思います。

併用軌道だった箱根湯本−小田原間が鉄道新線となった昭和10年。
その際に増備された111〜115(当時11〜15)が登場して以来、昭和56年に1000形ベルニナ号登場するまでの46年間。
箱根登山鉄道は、ずーっと101〜115(105欠)の14両でまかなわれていました。

さて彼らは、モハ1形〜3形と区別されているわけですが、
なぜ2という数字と何の関係もない110号がモハ2形だったりするのでしょうか。
まずは彼ら14両の生い立ちについて見てみることにします。

101〜107は、木造車体のチキ1形を鋼体化したモハ1形です。

101〜107は大正8年の-湯本−強羅間開業にあわせて作られたグループで、当初チキテ1形(1〜7)と呼ばれていました。
チキテのチは、地方鉄道のチ、キは客車のキ、テは手荷物のテを表します。
地方鉄道のチとは妙な称号と思われるかもしれませんが、前述したように箱根登山鉄道は、併用軌道を持っていたため軌道線車両と区別する必要があったのです。(ちなみに軌道線の客車は、キキ となります。)
チキテ1形は、米国GE社の電機部品に加え、これまた米国ブリル社の台車に、ダブルルーフの木造車体(日本車輌製)をのっけたもので、中央の荷物室を挟んで特等室と並等室があるというものでした。
のち、荷物室も特等室も廃止され、昭和10年までには、事故で廃車となった5号を除く6両が、チキ1形となりました。
木造車体を鋼体化したのは、昭和25年。
小田急の箱根湯本乗り入れに合わせて複電圧化工事も合わせて行われました。
(101.102;東芝 103.104.106.107;汽車会社)
この際、昭和10年に登場した111〜115と同じデザインの車体になり、番号も同様に100が加えられました。

108〜110は、木造車体のチキ2形を鋼体化したモハ2形です

108〜110は昭和2年に増備されたグループで、当初チキテ2形(8〜9)と呼ばれていました。
チキテ2形は、スイスBBC(ブラウンボベリ)社の電機部品及び台車に、シングルルーフの木造車体(日本車輌製)をのっけたもので、チキテ1形同様、中央の荷物室を挟んで特等室と並等室があるというものでした。
彼らも同じように、荷物室、特等室が廃止され、昭和10年までには、全車チキ2形となりました。
なにせ特殊な路線を運行するが故に、足回りが第一と考え、2番目になるBBCの装置をもつものに「2形」を付与したというわけです。
木造車体の鋼体化は、昭和30年から、110は昭和32年に鋼体化されています。
(108.109;東急車輌 110;東洋工機)
やはりこの際に、111〜115と同じデザインの車体になり、番号も同様に100が加えられました。
つまり、昭和32年。110の鋼体化によって14両が、同じ3桁、同じ顔で、勢揃いしたことになります。

そして、モハ3形こそは、これら鋼体化車体のモデルとなった111〜115です。
といいたいところなのですが、違います。

111,112の2両は、新製の半鋼製車体ながら、形式はモハ2形なのです。

箱根登山鉄道の顔ともいえる正面3枚窓のスタイルをもつ半鋼製車体のモハ2形Uは、昭和10年に登場しました。
モハ2形T(現108〜110)の番号が当時1,2桁(=8から10)であったのに対し、3桁となっているのというも、いかにも変ですが、
それ以上に半鋼製車体の新車が、8年以上前に作られた木造車体の電車と同一形式というのは、いったいどういうことでしょう。
それは、彼らが、スイスBBC(ブラウンボベリ)社の電機部品及び台車を持っていたことがその理由です。
そうです。GEについで、2番目になるBBCの装置をもつものに「2形」を付与したという経過をふまえ「2形」を継承することになったのです。

そんなわけで113〜115が、モハ3形です。

GE製の電動機をもつが故に、「1形」を継承してもいいような気がしますが、BBCの板台枠台車を参考に作られた川崎車輌製のものを用いたため、「3形」を名乗ることになりました。

カルダン駆動の電車に改造されたモハ2形 110号機

さて、このように足回りの装備にこだわって、形式を決めてきた箱根登山鉄道ですが、
14両ある車両のうちでも、古い足回りをもつモハ1形から、台車をも含めてパーツを更新してゆかなければならなくなりました。
 モハ1形は、台車を交換する際(昭和35.6年)、駆動方式については旧式のツリカケ式を引き継ぎますが、
モハ2形に至っては、昭和56年にデビューした1000形ベルニナ号の駆動方式。つまり平行カルダン駆動を引き継ぐことになるのです。
しかし、制御方式はベルニナ号が採用した自動加速多段式ではなく、手動加速の制御器をそのまま使用することになりました。
一般に手動加速制御は、ツリカケ式駆動以前のメカであって、カルダン駆動が登場した折には、もはや過去のものといっていいものです。
それをあえて導入したのが、モハ2形110号だったのです。昭和60年9月のことでした。
手動加速の制御器をもつカルダン駆動の電車は、おそらくこの箱根登山鉄道以外にはいなかったと思われます。
(*実は昭和59年に高松琴平電鉄の1010形が、HL制御のままカルダン駆動に改造されていました。
また、同じく高松琴平電鉄の1020形(もと名鉄3700形HL車)にもカルダン駆動に改造されたものがいます。 ごめんなさい。(^_^;))
その先鞭をつけたのが、110号です。以後、109.108の順でモハ2形Tは、カルダン駆動化されました。
そして、モハ1形にもカルダン駆動車が出てきました。(=106号)
モハ3形、モハ2形Uなき今、モハ1形とモハ2形の違いは、ロングシートのモハ1形に対して、セミクロスシートのモハ2形であるかのように思われている向きがあるようですが、これは結果論に過ぎません。
モハ3形は、彼らのうちでは最も新しい形式であるのにもかかわらず、もはや姿を消してしまいました。
車体としてみれば、最も古いものとなるからです。
現存するモハ1形、2形Tは、新しい車体を与えられたがために、生き延びることができました。
1000形ベルニナ号が登場した時、110号機は、まさか同じTS-330A形台車を履くことになるとは、思わなかったでしょう。

参考文献;鉄道ピクトリアル No620 関東地方のローカル私鉄 「箱根登山鉄道」


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