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−国鉄が製作した路面電車 函館市電501−

函館市電(函館市交通局)500形更新車 501
−鉄道車両写真集−
函館市交通局(函館市電)
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形式 500 501(車体更新車) 両数 1 1987改
12.510 2.336 3.700 15.4 t 80 名
台車 K-10 日本車両 モーター MB-172LR 三菱 37.3 ×4
制御装置 KR-8 泰平  ブレーキ SM-3
参考文献 rp688 2000.4
函館市電 500形更新車 501

長い歴史を持つ都市の路面電車には、「顔」というべき主力車両がいるということが多いですね。
私にとっては鹿児島市電なら600形。都電なら7000形(更新車)。札幌市電なら200系というところでしょうか。
すこし古いかな。
で、函館市電の場合はというと、500形なんです。私が初めて函館を訪ねたのは1989年のこと。
その時点で500形はは26両/54両を占める一大勢力でした。

500形は1948〜50年に、日車で30両製作されました。
戦後、すぐに量産されたのですね。
台車は K-10(日車) モーターは MB-172LR(三菱)37.3kw ×4、もちろんツリカケ駆動です。
制御装置も KR-8(泰平)が運転席にどーんと設置されていました。
技術的には何も目新しいところはありません。
スタイルもクラシックな500形は当初、3ドア車でした。
函館の町の戦後復興を担う、多くの人々が乗り込んでいた姿がしのばれます。
(のち1963年に1ヶ所を閉鎖、他の車輌と同様に2ドア車となっています。)

現在(2014年3月)、30両の内28両は廃車され、現存するのは、501とラストナンバーの530号を残すのみです。

トップナンバーが残っているとは、不思議ですね。

実はこれが今回の主役501号です。

画像をご覧ください。クラシックなスタイルの500形オリジナルとは違って、近代的なスタイルです。

実はこの501号、もともとはいうまでもなく他の500形とは同じスタイルだったのですが、
505号の台車などを流用し、新たに車体を載せ替えた更新車なのです。
1987年に改造され、車体更新と同時に501号へ改番されました。
500形のトップナンバーであった501号はすでに(1973年)廃車になっていましたので番号が重複することはありませんでした。

さて、注目すべきは、この新501号が国鉄五稜郭車両所で車体を新製しているということです。
国鉄時代ということですから、もう遠い昔の話です。

ここで当時の路面電車をとりまく事情を考えてみたいと思います。
函館市電に限らず、当時(70〜80年代)、路面電車は時代遅れと考えられていました。
日本の各都市では廃止路線も相次ぎ、函館市電でも、
1978年の「ガス会社前 - 五稜郭駅前 (1.6 km)」の廃止にはじまって、
1992年「宝来町 - 松風町 (1.6 km)」、
1993年「函館駅前 - ガス会社前 (1.8 km)」「ガス会社前 - 五稜郭公園前 (1.8 km)」
と相次いで路線縮小がなされています。
ですから、函館市は、旧型車両の取り替えに際して、路線縮小のため余剰車両となった都電の中古車(1000形)を導入していました。

それでも追いつかない場合は車両を新調するしかないわけですが、
路線の縮小あるいは全廃のおそれのある路面電車の新製などはできるはずもなく、
車両の更新にしても二の足を踏むような状況だったのではないでしょうか。

ところで500形更新車を語る上で外せない車両があります。
それは710形711号機です。これもまた国鉄五稜郭車両所メイクの路面電車です。
この710形更新車に車体更新が行われたのは1985年7月です。
500形更新車の二年前ですね。
試作車的な意味合いを強く持つ車両であると想像できます。
台車および制御機器類は711の部品を用いましたが、
車体は軽快電車タイプのものに載せ替えられました。
(MG・CPを交換したほか、暖房機を灯油燃焼式からヒーター式に変更しました。)
車籍や車番も711のまま引き継がれています。

函館市交通局(函館市電)710形更新車 711
函館市電 710形更新車 711 駒場車庫前

この実績をもとに500形更新車が存在するのです。

それにしても、国鉄が他の鉄道事業者の、それも路面電車を制作していたというのは驚きです。
本来、国鉄の工場は車両の修繕や大規模な検査を行うところで、車両の製造に携わることはあまりありませんでした。

これはいったいどういうことだったのでしょうか。

国鉄時代、数多く存在した工場はJR各社に引き継がれました。
しかし、合理化の波は工場の存続をも問題にしました。
JR西日本管内には高砂工場、鷹取工場がありましたが、今は存在しません。
JR北海道には苗穂工場、釧路工場、そして五稜郭工場(名称は車両所)が引き継がれました。
しかし、国鉄末期、北海道のローカル線はその多くが廃線となり、貨物も大幅に減ってしまいました。
つまり取り扱うべき車両はかなり減ってしまっていたのです。
手っ取り早くいえば仕事がない状態になっていたわけですから、工場も統廃合の対象になったに違いありません。

そんな職場を維持するためには、仕事を増やす以外にありません。

五稜郭の国鉄工場も存続をかけて多角経営に乗り出していました。

そんな流れの中で、少しでも雇用先を確保したい函館市は国鉄の五稜郭工場に仕事を発注することにしました。
それが500形更新車なのです。

ところで、前述したように501号は1973年に廃車になっていましたので番号が重複することはありません。
でも、なぜ、わざわざ501にしなければならなかったのでしょう
711号の例に倣うのであれば、
505号の更新車である新500形は505でいいではないですか。

そうなならなかったのは、当時の函館市交通局が500形更新車にあらたに01〜のナンバーを割り当てて、
500形更新車を量産する姿勢を示したかったからではなかったか。
と私は想像するのです。
前述したように、その後、函館では路線縮小が相次ぎ、501号しか制作されませんでした。
しかし、結果として五稜郭の工場は存続したのです。
また、501号の存在は、駒場工場の士気も保ったに違いありません。

JR北海道が、路面電車を制作するという事業を継承しなかったのは少し残念なところですが、
その後、函館市交通局は、800形の機器を流用して8000形(更新車)をデビューさせます。
(アルナ工機で1990年〜改造)
路線縮小と平行して行われたわけですが、500形更新車の実績がものをいっているように思います。

国鉄メイクの路面電車が、函館市電の存続に少なからず貢献した。というのは考えすぎでしょうか?

日本国有鉄道が、その姿を消して四半世紀が過ぎました。
今や、JR各社でも国鉄時代の車両は希少種、あるいは絶滅という時代になりました。
函館市電でも2010年3月、711号が定期運用を離脱、その姿を消しました。
しかし新501号は1995年にカラオケ電車(2代目)となり、2007年には AMUSEMENT TRAMとして装いを改めました。
仕事量は減りましたが、まだまだ元気です。

軽快電車のスタイルとはいえ、私には無骨で重厚感たっぷりに見える501号。
永く使ってほしいという当時の制作者の思いを感じるのです。


 参考文献 鉄道ピクトリアル 特集 路面電車 1976年/1994年/2000年/2011年版 No319/593/868/852
        路面電車ガイドブック 1976.6 誠文堂新光社



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