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  函館市交通局 30形 39号 箱館ハイカラ號  
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−函館市交通局(函館市電) 30形 39号 箱館ハイカラ號 −

<B><FONT color="#000000">函館市交通局 30形 39号 箱館ハイカラ號</FONT></B>
−鉄道車両写真集−
函館市交通局(函館市電)
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排雪車 装飾車  箱館ハイカラ號 
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函館市電 30形 39号 箱館ハイカラ號 撮影:湯ノ川 1997年10月

 1993年。函館市は市制施行70周年の記念事業として、
折しも路面電車開業80周年となる記念すべき年に「箱館ハイカラ號」の運転を開始しました。

 いわゆるレトロ電車は、江ノ電や嵐電などでも運行しており、いい雰囲気を醸し出しているのですが、
あくまでレトロ調のイメージで作られたもので、車両マニアには多少の違和感が感じられます。
 
対して、「箱館ハイカラ號」は、当時の図面を参考にして復元したもので、
交通局及び札幌交通機械(株)の製作スタッフのこだわりが感じられます。

さて、そのこだわりとなる車番は39。その数字が意味するところは何でしょう。

函館市電のルーツは函館馬車鉄道。これを買収したのは電力会社、函館水電でした。
自前の電力を活用すべく路線を電化。これに備えて大量の単車を導入、増備します。
1913年の開業当初、丸屋根でデッキ部分が開放となる単車の新車1号〜25号を導入し、
九州水力電気から5両(26号〜30号)、
東京市電から1形5両(31号〜35号)、
成田電気軌道からも5両(36号〜40号)を導入しました。
さらに単車の新車を6両(41号〜46号)を導入しています。

39はそのうちの1両ということですね。

というわけで39号は1910年(明治43年)に、天野工場(後の「日本車輌製造東京支店」)で製作された成宗電気軌道の車両です。
1918年(大正7年)に、函館水電がこの車両を購入したときには成田電気軌道となっていました。(成田時代の車番は不詳)

30形自体は、その後1926年(大正15年)の火災で37号と40号が焼失、
また1934年(昭和9年)函館の大火の際にも36号と38号が焼失しました。
39号だけが焼失を免れたわけです。
100年を超えて生き延びるだけの強運の持ち主だけのことはあります。

加えて39号が生き残れたのには大きな理由があります。
それは、1937年(昭和12年)にササラ式(ブルーム式)除雪車に改造されたということです。
当然冬場にしか仕事はありません。
実働時間が限られている分、痛みは少ないということになります。
なんと1992年(平成4年)までの55年間、39号は、排雪車:排2号として働いていました。

ちなみに函館市電には事業用車両として、排雪車が2両(排3、4号)、花電車(装飾車)が3両(装1〜3号)在籍します。
かつて、排雪車は6両ありました。このうち1号、5号、6号の3両が廃車となり、
排2号だけが客車に復元され「箱館ハイカラ號」になったというわけですね。
排2号も39号の強運を引き継いだわけですが、なぜ2号機だったのでしょう。

その前にササラ電車について、お話しします。
「ササラ」とは、竹を細かく割って束ねた器具のことです。
中華料理店の厨房で鍋を洗うときに使う−−あの竹を細かく割って束ねたものです。
適度な堅さとしなりで、こびりついた汚れも見事に除去します。
これを車両の前の回転部分に取り付けて、下から雪を掻きあげるように回転させて、前方45度の方向へ雪を飛ばすのです。
「ササラ式」は俗称で、正式には「ブルーム式」といいます。
開発者は札幌電気軌道(札幌市電の前身)。
より能率の高い除雪を研究した結果、台所用品のササラをヒントにブラシの部分に竹を利用する方法を考案し
1925年に最初のササラ電車が実用化しました。

函館では札幌から遅れること12年後の1937年に単車を改造してササラ電車が製作されました。

排雪車は6両とも、他の鉄道社局から購入した車両で、排雪車改造したのも、ともに1937年です。

排1号はもと九州水力電気(のちの西鉄福岡市内線)の車両です。
前述したように函館(函館水電)入り(1913年?)し、
26号〜30号となったわけですが、九州時代の詳しいことはわかりませんでした。 
うち29号を排雪車改造しました。

排2号は1910年生まれで もと成田電気軌道 
函館入りしたのは1918年。函館水電39号となりました。
詳しくは前述しています。

排3〜6号は1900年代(明治30年代)に製造された東京市電気局(東京市電)ヨヘロ形がそのルーツです。
ちなみにヨは四輪単車、ヘはベスチビュール(運転室正面に窓付き)、ロは大正6年更新型を表すということで
1917年〜に車体更新を受けた車両ということになります。
函館入りしたのは帝国電力に社名変更した1934年(昭和8年)以降で、車番は244、245、242、243号の順で排3〜6号となりました。

1934年といえば函館大火です。
多くの車両が焼失し車両不足となった際、かねてから縁があった東京市電気局より、急遽融通してもらった車両(25両)なのです。

函館市電の駒場車庫には2回お邪魔して、貴重な事業用車両を撮影させていただきました。
鉄道車両写真集にUPしていますので、こちらをご覧いただければと思いますが、
このように、様々な経歴を持つ車両でありながら、よくもまあ、よく似た車両を集めたものだというのが私の実感です。
ですから、どれを選んでも同じような車両に復元できたような気がします。

さて「箱館ハイカラ號」へ復元にあたっては当時の図面を参考にして復元したということですから、
より状態のいい図面を選んだら39号になったというのが、本当のところかもしれません。
また車体の状態がよくなければ復元されなかったでしょう。

しかし、私には、1934年3月の「函館の大火」を乗り越えてきた車両から選ばれたのではないかと思えてなりません。

「函館の大火」は、死者2166名、焼損棟数11105棟を数える大惨事で、今もなお函館の歴史に残る大災害です。
1993年の「ハイカラ號」復活当時、
その悲劇を乗り越えてきた人々にとって、同じく生き残ってきた39号は、特別な意味を持つものであったに相違ないと思えるからです。

参考文献 鉄道ピクトリアル 「特集 路面電車」 1976年4月号 No319 1994年7月号 No593 2000年7月号 No688

函館市交通局 排1形 2号 ササラ電車  撮影:駒場車庫
函館市交通局 排1形 2号 ササラ電車  撮影:駒場車庫

さて函館市電では、90年代中頃より除雪作業の大部分を除雪トラックで行うようになったそうです。
それを受けて6両あった排雪車のうち1号、5号、6号の3両が廃車となっています。
現在、ササラ電車の運行は試運転もしくは車庫構内の除雪の際に稼働する程度となりつつあります。

しかし、降雪量が多かった年は出動しています。
39号「箱館ハイカラ號」とともに、まだまだ現役です。

なお2011年4月より函館市交通局は水道局と統合され交通部門は企業局交通部となっています。





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