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J鉄局TOP>珍車ギャラリー>秩父鉄道 1000系 1006編成 デハ1006-デハ1106-クハ1206
秩父鉄道1000系 デハ1006+デハ1106秩父鉄道1000系は100形や800系などの旧型車両を置き換えるため 1986年~1989年にかけて、 国鉄(→JR)101系電車を譲り受 けたものです。 デハ1000形+デハ1100形+クハ1200形からなる3両編成で, 3連×12本=36両が在籍します。 (国鉄時代はクモハ100形+モハ101形+クハ101形) 国鉄(→JR)の新性能通勤電車が、このように編成単位で 私鉄に譲渡された事例は珍しくこれが最初で、 おそらく最後ということになるでしょう。 1986年、秩父入りするにあたって 1001・1004編成は国鉄大宮工場、 1002編成は国鉄大井工場、1003.1005編成については 日本電装(株)でそれぞれ改造工事が施工されました。 しかし譲受にあたっての改造点はというと、 秩父鉄道用の列車無線を取り付け、保安機器を変更、 パンタグラフは旧式のPS13形へ変更、暖房容量の増大、塗装変更など細々としたもので、 車体の更新に相当する大きな改造はなかったようです。 どう贔屓目に見ても、頑丈には見えない101系を、それも四半世紀もの間、 過激に使いこなされてきた車体をほぼそのまま引き受けた現場のご苦労は 大変なものだったのではないでしょうか。 「ほかに適当なものがなかったのか。」 そんな外野の声を尻目に 秩父鉄道は1987年に、1006.1007編成(国鉄大宮工場改)6両を 1989年に、1008~1012編成(自社熊谷工場改)を15両追加投入します。 そしてその5年後、1994年から1997年にかけては、 なんと冷房改造までもがなされたのです。 画像をご覧ください。 これが、何とも個性的です。 なんと先頭車に集約分散式冷房装置を搭載するものの 中間車は非冷房のままです。今やどこにもこんな例はないでしょう。 固定された編成のうちに冷房車と非冷房車が共存する例は かつて国鉄末期に多く見られました。 ただそれは、編成替えをする過程で発生したものです。 意図的に中間車だけ冷房化を見合わせるなどという例を私は聞いたことがありません。 秩父鉄道沿線の夏の暑さはハンパではありません。 (ちなみに我が国で最高記録は2007年8月16日の岐阜県多治見市および埼玉県熊谷市で40.9℃)。 何が何でも、全列車の冷房化を達成しなければ、秩父鉄道は生き残れない。 そんな、せっぱ詰まった状況のもと ぎりぎりの予算でやりくりする過程で得られたアイデアが、 「中間車だけ冷房化を見合わせる。」ではなかろうかと推察します。 もっとも101系の冷房車自体珍しいものではありません。 国鉄時代に冷房改造されたものも存在します。 これは103系になされた冷房改造工事(1970年~)にならって 101系にも施したもの(1972年~)です。 重量のある集中型のAU75を搭載するため、かなりの車体補強を行っています。 今回はどうだったのでしょう。 集約分散式になり、クーラー自体の軽量化は進んでいるように見えます。 しかし車齢も30年を超え、もともと軽量化のため頑丈とは言えない車体です。 いまさら冷房改造をするというのは、勇気のいる決断だったと思います。 なにせ秩父鉄道が冷房改造を始めた1994年の段階では 103系でさえ淘汰が進んでいたのです。 当時JR東日本に現存する101系は、わずかに6両。 車体補強したはずの前述の101系冷房改造車(AU75付き)でさえ、 もはや、すべてその姿を消していました。 思えば、これらの冷房車と1000系を入れ替えるという手もあったはずです。 しかし、秩父鉄道は、1000系の冷房改造を決断しました。 なぜでしょう。 これは憶測にしか過ぎませんが、 手塩にかけてメンテナンスしてきた1000系を今おいそれと廃車するのは忍びない という気持ちがあったからではないかという気がするのです。 なにはともあれ 「冷房化するからには、あと10年は使ってやろうじゃないか。」 という決意があったことは間違いないでしょう。 この時点で冷房化したからこそ、 2011年となった今でも101系の姿を見ることができるのです。 もうこれだけでも1000系は奇跡の珍車であるということができるのですが、 今回はそんな1000系の中から、 なお2両をピックアップしました。1006編成のデハ1006とデハ1106です。 さて、1000系は、そのほとんどが101系0番台からの改造ですが、 この2両だけは1000番台からの改造です。(クモハ100-1013+モハ101-1013) それがどうしたと言われそうですね。 ここで101系について少しお話しさせていただきたいと思います。 もう少しおつきあいください。 101系は、国鉄初の新性能電車となるものです。 従来の旧形電車のもつ加減速のほぼ倍の性能をもって、 ラッシュ時の運転間隔を短縮。 頭打ちになっていた中央線の輸送力増強を期して開発されました。 電動機は、さほど高出力ではありませんが 高回転型で小型軽量のMT46形が採用されました。 編成全体の出力を高める方針が取られ、 当初全電動車方式(オールM編成)を採用したのが大きな特徴です。 しかし101系は、電力設備等の問題により、 その後、付随車を連結して使用される事になります。 当然、期待された性能は発揮できず、また経済性の問題から、 新形の103系電車が開発され、国鉄の標準形通勤電車の地位を譲ることになりました。 とはいえ当時の首都圏は通勤地獄という状況を呈しており、 新性能電車を熱望する声は各線からあがっていました。 101系は、山手線、総武線、南武線 そして武蔵野線とその活躍の場を拡げてゆきます。 101系1000番台は1973年4月。 武蔵野線 府中本町~新松戸間開業に備えて登場しました。 同線には一部区間に長大トンネルが存在することから、 A基準に準拠した難燃化対策を施した車両が必要となったのです。 1000番台というと千代田線乗り入れ? と思われた方もいるかもしれませんが、それは103系の話。 ちなみに103系1000番台は新車でしたが、101系は違います。 番号にだまされてしまいそうですが クモハ100-1013+モハ101-1013は それぞれクモハ100-53+モハ101-50を種車に1977年改造されたものです。 改造工事は101系の初期車に対して施され、 6両編成×15本=計90両が改造されました。(1972~77) 編成は(←西船橋方面)McM'TT'MMc'(府中本町方面→) でMT比は4M2Tです。 改造(転用)後は全車が豊田電車区に配置され、武蔵野線で運用されました。 4M2Tということからも、中央線ほどのスパルタンな運用はされなかったわけですが、 種車が経年の高い初期車が中心であったことから、 1987年までに基本番台よりも先に全車が営業運転を終了することになります。 うち2両は保留車としてJRに継承されましたが、翌1988年にこれらも廃車。 101系1000番台はJR東日本には,存在しなかったといってもいいでしょう。 そんな101系1000番台が秩父鉄道へ譲渡されていたのです。 ところで、彼らにはもう一つ秘密があります。 彼らは101系としてではなく、実はモハ90系として誕生していたのです。 1959年4月の新製時はモハ90616+モハ90109で 101系と改番される直前に製造された最後の90系電車なのです。 彼らは90系試作車そのものではなく、90系量産車という位置付けになりますが、 モハ90系は 本来”9”の数字が示すように試作車的意味合いを強くもつ系列です。 前述のモーターにとどまらず、MMユニット採用や 平行カルダン駆動 軽量構造の車体に両開きドアの採用と 当時の新技術をふんだんに盛り込み国鉄新性能車の基礎を作った記念すべき系列なのです。 1959年6月の称号改正に伴い、101系にその名を改めたわけですから、 90系でいたのは2ヶ月もありません。 しかし、その名前には、101系が背負っていた歴史的価値が秘められています。 以後、3度にわたり彼らはその名を改めました。 そこには半世紀に渡って生き延びてきた彼らの歴史がそれぞれ刻みつけられているように思えます。 1959年4月20日生まれのデハ1006とデハ1106は、 2009年3月31日。そんな50年を走り抜き、その生涯を静かに終えました。
参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑1987年版 #480 1987.5 P133 鉄道ピクトリアル 特集101系電車 #724 2002.11 の各記事。 |
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